苦節20年

◇節目の1年
藤枝市から、福岡の地へサッカーチームを誘致して20年が経過する。
もともとはサッカー不毛の地。明治時代から続く3公社5現業のうちの一つ、九州電力を中核にした地元株主企業。サッカー素人の出向幹部社員。
 クラブも会社も脆弱な体制は長く続き、チームは、その間、大きな荒波にもまれ続け、クラブ自体が存続の危機を迎えたのはホンの1,2年前である。

地域に根ざしたホームタウン活動以外には誇るべき成果は見られない。

しかし。

苦しいことばかりは続かない。

そして。

夜明けの来ない夜もない。


 2015年という年は、アビスパ福岡にとって、大きな大きな節目の1年となった。
実はシーズンはまだ終わっておらず、(11月30日現在)J1へ上がる為のプレーオフ決勝のゲームは残している。
1部に上がるのか、このままあと1年、2部に残るのか。
そんな中でも、明確に言えることがある。
この1年で、ようやくプロサッカークラブへと足を踏み始めることになった。
アビスパ福岡は生まれ変わった。


 クラブの成り立ちやチーム強化という点においても、根底から大きな変化を上げた1年となった。
実社会で百戦錬磨の企業経営をしているアパマンという企業が資本参加し、社長を派遣。
思い付きだけの営業しかして来なかったこれまでと違い、アビスパ福岡としては、実社会で企業実績の苦難を体験した幹部をはじめてトップに据えた。
そして、近代の日本サッカー界ではレジェンドともいうべき(WCでキャプテンを務めたほどの)井原正巳という指揮官を抱いた。
 新人監督とはいえ、長く名将・ネルシーニョの下で薫陶を受けたのが井原氏。井原氏にとっても、満を持しての監督就任である。
井原氏は、おそらく将来の日本代表チームを率いるだけの存在になるだろうと目されるサッカー人生を歩いている。そう、あとは指揮官としての経験だけ。

◇蘇った「敬意」
これまで、多くの落胆や苦難が繰り返し繰り返し襲ってきたにもかかわらず、サポーターは、それでも我が町のクラブを見つめ続けてきた。
上記に書いたように、クラブが消滅するかも知れない、そんな時期もあった。


 実は、今年1年で、一番大きく変化したのは、サポーターの意識の変化だと感じている。
クラブ経営に対する「敬意」、
チームづくりに対する「敬意」、
指揮官の指導ぶりに対する「敬意」
成長する若い選手たちへの「敬意」。

そして20周年記念試合で見られたような、OB選手たちに対する「敬意」。

 アビスパ福岡を取り巻く人々にとって、本来あるべき「敬意」が見事によみがえったといって良いと思う。
何より、これまで、勝ち点が積みあがるたびにそれはおおきくふくらんできた。