祭りのあと・・

orion10142004-08-09

varietyfootballのseriさんのコラムを読んだが、面白いので、今夜用事済んだら、もう一度読もうと思う。
アジア杯が日本代表の優勝に終わり、この今の時期マスメディア内(下界)ではジーコ解任の風は一陣も吹いてはいないように見える。それぞれの胸のうちに燃え盛り内在していたとしても。
どんなに問題が山積していたとしても結果の前には誰も身動きとれないのが現実だろう。ましてや優勝なんだぜ。
私は前にも書いたが、もはや”分水嶺”は越えてしまった。と思っている。
そう、ジーコ監督は我々を引き連れて分水嶺を越えてしまったのだ。
併せて私は、ドイツWCに出場できないという、考えれば絶望的な”その時”の覚悟を既にしてしまった。
日本サッカーの力からすればWCには出場して当然、ましてやBEST8が目標だなんて、現実には遠い夢になりつつある。
代表チームや選手たちは応援しつつも、それでも、NOといい続けることも必要だとは思う。また問題・課題には諦めずに指摘し続けることは必要とも思う。それが健全な議論の場ならば。
しかしseriさんのコラムは論理的で非常に面白いです。

ジーコを解任させなければ、あなたが辞任しろ。あなたが協会に残りたければ、ジーコを解任しろ。」
こういった意見を不満に思うかもしれないが、川渕会長が動けないのはひとえに「ジーコを首にすれば責任を問われて自分まで首になる」という、臆病者の論理から来ている。つまり今現在の川渕会長は代表(国民)と自分自身とジーコの間で完全に三竦みの状態になっているのだ。だから一方で川渕の責任を不問にすれば、ジーコはいつでも首にできることになる。

これまでも再三指摘しているように、問題の本質は我々の思いとは全く別のところに存在している。我々が”ジーコ問題”と認識していた諸問題は、元を正せば最終的に”川渕問題”に帰結しているといえる。ジーコ問題を解決したければ、川渕会長に対して”解任”と”責任”のカードをどう使わせるかにかかっている。もちろん独断の人事と代表のパフォーマンスに対する責任を問うのが、本来の筋であることは百も承知している。だが選手やファンがあまりに我慢強い大人であるのに対し、当の本人達がどこまでも子供であるという事実は変わらない。子供に真剣になって責任を問いただしても仕方がないし、それでは現実は何の進歩もしない。今こそ、ファンは大人の対応を見せるべきだろう。 (seriさん)



*写真は、国立競技場のバックスタンド上から昇る満月。ゲーム途中から昇りはじめゲーム終了の頃には、照明の上に月はきていた。
さて、何の意味もない話しですが。
このところのカウントの進みが速い。アジア杯開幕後からブックマークされた方からのカウントが特に多く、いつの間にか20万を超えてしまった。壊れているのか?
こんな駄文を読みにきて下さる方にはただ只管恐縮するしかありませんが、改めて御礼申し上げます。また、blog立ち上げから遠くで見てくれてたまにアドバイス下さるおりたさんにも。