環境抵抗

orion10142004-08-08

今日は学者先生と数時間一緒だった。
農業及び植物を研究している学究肌の先生であるが「実学」をキチンと理解されている方だった。
実学とは現実社会に生きている人が積み重ねてきた知恵の集まり、あるいは農業実践者が自ら身につけた理論、といって良いだろうか。

食物における「環境抵抗」という言葉について質問してみた。
私:「経済発展とともに社会生活が豊かになり物が溢れるようになると、人間の自らの生命力は弱体化すると考えますが先生はどのように考えますか?」
学者先生:「それを弱体化とはいいません。退化といいますね。」
私:「人間は、飢餓感がなくなると退化するのですね?」
学者先生:「貧困、飢餓、戦争、争い、混乱。そういった環境にいると人間の生命力は途方もなく強くなります。肉体的にばかりではなく。」「辛苦の状況に自らを追い込むと精神的に強くなるのと同じです。」「ここでは良い悪いを言ってる訳でなく、あくまでも強弱の話しですが」
私:「であるなら、戦後民主主義は人間を退化の方向へ導いてると?」
学者先生:「そのとおりです。肉体的退化は精神的退化を導くと考えられます。このまま放っておけば最後に残るのは我慢のできない”わがまま”な人間だけだと思います。」
私:「調味料を使わない”食材だけの料理”の食物が、最近ヒドクまずいのは、食物の”生命力”が退化してる、ということなのでしょうか?」
学者先生:「食料自給率が世界でも1,2を争うくらい低い現在の日本人は、現在、世界のモルモットであるわけです。」「米国で取れた穀物の大半が船便で送られてきますが、どれだけ農薬を使っているか知っていますか。畑で害虫予防のために大量の農薬を散布され、輸送前に大量に保存薬を散布されています。」「かってこのような時代はなかったし世界のどこにもなかった。」「クスリには悪いものを排除するという利点がありますが、善玉も一緒に殺してしまう役割もあります。」
私:「食物本来が持っている瑞々しい美味しさは、食物の中に含まれる養分つまり生命力がその要因なのですね。」
学者先生「農業者は、誰でも知ってることですが、大量生産、大量消費の経済性を第一に優先して農業を考えると、人間はどんどん退化するわけです。身体的退化と昨今のアレルギー病は比例しています。」
私:「様々なクスリによって環境抵抗がなくなってくると、本来持っている生命力が退化していくということはなんとなくはわかりますが、今後、解決の糸口はありますか?」
学者先生:「みかけだけで食べ物を選ぶ時代を終わりにすることです。」「流通で流れる食物の中には、美味しいトマトはもうどこにもありません。」
私:「日本は本来穀物文化だと思いますが、大切にすべき五穀文化が時代の遍歴とともに乳肉文化に支配されているのですね。」
学者先生:「東洋人、中でも日本人の口から肛門までの延べ延長距離は、欧米人のそれより2m程度長い理由はそこにあります。」「穀物を食べなくなって日本人は弱くなっています。」
私:「60歳以上の日本人とそれ以下の日本人では、自らの生命力の輝きという点において差があるように日ごろから思ってるのですが。」
学者先生:「その通りですね。飢餓、貧困の体験があるかどうかの差なのですね。」
私:「手取り足取りの民主主義の行き着く先の絶望感を、なんとかして生命力あるものに切り開くのが我々の宿命ですね。」「食物の経済性志向を打ち止めにできるかどうかですね。」


フィジカル強化

環境抵抗については食物のことに限らず、サッカー選手にも言えるかもしれない。
現在、改めて読み返している山本氏(アテネ五輪代表監督)の備忘録であるが、その中に興味深い内容があった。

ナイジェリアで世界ユースを戦う前に、アフリカで長く指導の経験があるトルシエは、当時の黄金世代に対して劣悪な環境のホテルに宿泊させたり、宿泊先で出された食物をそのまま食べさせたり、予防注射など要らないと協会と対立したりした。
トルシエは指導者としてそのような”蛮性”があったと、山本氏が後に述懐している。(「備忘録」より)

また日本人選手のフィジカルについて、サンドニの惨敗の時にヒデだけが何事もなくフランス代表の選手たちと戦えたことについても、山本氏は書いている。
サンドニとは2001年3月24日、日本代表が屈辱的なスコア、5−0でフランス代表に惨敗したゲームのことだ。

スタッド・ド・フランスは見た目よりも芝の状態が悪く、凸凹があってイレギュラーはするはわ、雨でぬかるんだ状態に足は取られるわで散々だった。(中略)
その芝で飄々とプレーし続けた唯一の日本人選手が中田英寿だった。普段からそういうピッチに慣れているから足場が悪くても軸がブレない。下が緩いと、接触プレーの強さ弱さが余計にあぶり出されるのだが、中田英寿だけは相手もぶつかりあっても倒れなかった。ただし、その強さを中田英寿個人のものとして認識するのはどうかとも思う。彼がやれるということは、他の日本人選手も欧州の環境に慣れればきっとできる、と考えたほうがいいと思うのだ。(「備忘録」より)

良き指導者とは、選手たちにただ単にいい環境を作ってあげるだけでは駄目なのだろう。フィジカル的な点のみに着目してみると、選手たちの劣悪なゲーム経験や環境が非常に重要であることがわかる。


”最後は人間力”

アテネへ〜山本監督と若きイレブン〜メダルへの挑戦】
NHKで21時から放送された内容は、美しいタイトルとはニュアンスが少し違ってて、五輪代表に選出する過程と選出に伴う山本さんの考えついてのものであった。

山本さんの選手への人間洞察のテーマは「人間力」だろうか。人間としての底力、ギリギリの状態で自分の力を出し切る強さや逞しさについて語っていた。
石垣島での灼熱合宿やその後の選手選別試合のことなどが詳しく語られていたが、「競争があるから伸びていく。最後の力の1%を出し切る気持ちが大事」などを語っていた。
おそらくそれらは山本さんがトルシエから学んだことなのだろう。

谷間の世代と言われた彼らをそうやって追い込むという手法は、それはそれでいいことだと思うが。
国を代表する代表チームとして考えると、山本さんがどういうサッカーをしたいのかというのが最後の最後まで欠けている。また残念ながら山本さんは、終始選手選別にばかりに目をやりその事にエネルギーを注いでしまい、2年間最終予選まで積み上げてきたものを一旦ゼロにしてしまったことだろう。
アテネでも小野次第という雰囲気になっているようだが、大丈夫だろうか山本さん。
私は、山本さんこそ選手にばかりギリギリの状態を求めて、最後まで自分自身を追い込むことはなかったのだろうと思った。彼は最後までコーチだったのだ。
アテネ本番のギリギリの状態でその瞬間の判断を見誤らないように願うのみである。
小野の肩にのしかかるものの大きさを改めて感じた番組だった。
グループリーグ戦まであと、4日だ。
・・・
それにしても平山相太、お母さんに持ってけと言われたのかも知れないが、似合わないからヨコピンのネクタイピンはやめろ(笑)



【追記】
下にセルジさんからコメント頂きましたので、少しだけ。
鈴木啓太についてはセルジさんに同意します。ホントはこの件についてはたくさん書き込みたいところですが(笑)
どうやら山本さんは、選手選考に当たってその大半を選手同士を1対1で比較対照選別していたようです。
つまり自分で進むべきサッカーがあり、それにふさわしい選手を選別し、役割ごとに選んだわけではなくて(スターター、スーパーサブ、ベンチ控えでの鼓舞役割など)、どうやら選手同士をただ単に競わせただけのようですね。
唯一、啓太の比較対照の選手が運悪く小野だったようです。残念ながら。
このチームでのこれまでの成り立ちや”役割”という視点で見るなら啓太の存在と役割はとてつもなく大きいと私も思います。
番組の最後の方で、アテネ代表選手発表後に、レッズの闘莉王が啓太のユニを着て仲間のことを気遣っていたシーンには胸打たれた次第です。