ヴィンセント・ファン・ゴッホ

弟、テオとの手紙のやり取りは、そのほとんどが送金依頼に関するものなのであるが(笑)
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彼が残した偉大な作品はともかく、絵画ファンにとっては、特にゴッホに関心を深く抱くものにとっては、この、書簡集ほど読み応えあるものはない。
4つ違いの15歳の弟、テオと文通が始まり、終生続いた手紙のやり取りの中には、単なる”音信”だけでないひとつの優れた作品と言って良い世界が啓かれている。
彼が何を考えているか?何を思って生きているか?だけでなく、詳細なデッサン付きの手紙は、彼の心情を、彼の精神を振り絞って書き込んだものと思えるようなものである。
それこそ、貧しい牧師一家の6人兄弟のうちの、たった二人だけが、特別な繋がりで互いの人生を生きていったのだ。
ヴィンセントは、アントワープ時代、パリ時代、ヌエーネン時代、アルル時代、サンレミ時代、オーヴェール時代とオランダ、フランス各地の多くの場所を彷徨いながら絵を描き続けているが。アルル以前の絵画とそれ以降の絵画では芸風が違って面白い。
もともと日本の「役者絵」に影響されて南フランスへ向かったらしいが、明るい太陽の光を求めたハズが、描き込むごとにやがて精神の病に侵されていく。
そんな時に、天才ゴーギャンとの共同生活もある。
彼が引き金を引いた直接の理由は、精神の病だけでなく、オーヴェールに尋ねてきたある日の、弟テオとの口論や不協和音にある、という説もある。
たぶんそれは正しいのだろう。

普通の兄弟ではない、兄ヴィンセントにとっては、テオは、友人であり、父親であり、スポンサーであり、
それこそ誰も入り込めないふたりだけの、世にも不思議な特別な関係と言って良いもの、だろう。

もしかしたら、ふたり揃ってひとつの人生を歩いたのではなかろうか。
兄の死後、精神錯乱になり3ヵ月後に後を追うように逝ってしまったテオの墓は、彼の希望通りに、ヴィンセントの横に二つ並んで立っている。
彼らの数奇な生涯がヴィンセントの作品を深いものにしているのだろうか。
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魂の兄弟であったヴィンセントとテオ。
私は、いつか、ふたつ並んだオーヴェールの墓に行きたい、と思っている。