北京五輪世代

当時、クラブにはビジョンも明確な目標も無く、未来のあるべき姿を考えることもなかった。
ただ流れに身を任せそしてつけハギだらけのチームを作った。今にして思えば。
やがて大きな借財と負債が残り結果として市民や企業に多大な債務を背負わせることになった。

チームは大きな大きな失敗をして、その上でようやくの出直しが始まった。
地域の若者たちが夢を持てるようなクラブ作り。
10代の早くから可能な限り手塩にかけて育てるチーム作り。
そして才能に任せてプレーをする選手よりも、努力し汗をかき選手たちが着実に階段を昇る手法を取り入れた。
守備組織を大切にし、ディシプリンというキーワードで規律を作りあくまでもチームプレーを優先させて戦うようにした。
それが財源のない資金力の乏しい地方クラブの生き残りの手法にはマッチしていた。
若い芽を育成すること。とにかく長い目で育てること。
チームには未だ結果は出ていないが、彼らを見守り育てることに喜びを見出すクラブに少しづつ変化してきた。
再びつぎハギのチームに戻そうとしている長谷川氏よ、何があってもこのリズムを変えてはいけない。

7月25日、U−21日本代表候補に中村北斗柳楽智和が選出された。

大型ボランチ城後寿やスピードスター田中佑昌がやがて陽の目も見る日も近いと思う。
そして、
このような間違いなく次代を背負う若者も輩出されるようになった。
彼らは、わたしたちの誇りでもある。

鈴木惇
アビスパユースに所属し、福岡市内の有数の進学校(福岡高2年)に通う彼はU−17日本代表キャプテンでもある。
現在夏休み中の彼が、トップチームの練習に参加していると聞いてとても喜んでいる。