父のこと。
ちょっと、自分の半生のことなど。
父は、当時、山口県下関にあった鉄道学校に学び、戦時中は満州鉄道に勤務し鉄道網拡張のために働いたらしい。 若い頃から野球が好きで古いアルバムの中に、一枚だけだがかっこ良いユニフォーム姿のものがある。 仕事にも真面目で、一つのことに打ち込む性格で、しかも人付き合いも良かった、 と親戚や父の友人だった人から聞かされたことがある。 戦争が終わり満州から帰還した父は、小さな町の役人になり、母と結婚し、私が生まれた訳だが。 父は恩ある方から引き抜かれ、漁業関係の協同組合の重責を担うことになった。 夜を徹する仕事と、徹底した人付き合いにより身体の限界を超えるうちに、やがて病魔が襲い、 33歳という年齢で早くに亡くなった。 私が2歳になる前のことだ。 私は、父の顔を知らないし全く記憶の断片にもない。 ただ、周りの人から、父の人となりを聞くだけしかなかった。 3歳になって貧乏な生活から逃れるために、母は街へ出稼ぎに行った。 私は、小学校を卒業するまで親類の貧乏な大家族の家へ預けられた。 3歳以降、その大半を、母の温もりや母親へ甘えるという行為なしで育ってきたが、 それが自分には当たり前のことだと思っていた。 3歳から、恩ある育ての”両親”には、厳しくあるいは普通に我が子として、育ててもらったのだから。 おそらく、私は、父の血を濃く引いているのだろう。 いつも背中で無意識のうちに、亡き父の存在を感じて生きてきた。 私も、弱い学校の高校球児でスポーツに打ち込んだ。父のように、本屋さんを経営したいと思うくらい 本が好きであった。 人生には多くの困難や労苦が待っているわけであるが、父の生きた年齢をとうに過ぎてる私でも、その背中で、 いつも父が見ていてくれる、というような思いがしてきた。 果たして、自分の子供は、 ボクのことをどういう風に感じてくれているのだろう。