「眠れる森の美女」チャイコフスキー

初演:1890年1月16日 ペテルブルグ マリンスキー劇場 プロローグ付き3幕4場
主役オーロラ姫にカルロッタ・ブリアンツァをむかえ、管弦楽指揮をリッカルド・ドリゴによりロシア皇帝アレクサンドル3世の臨席のもと上演。
しかし、予想外に観客の反応は冷たく、皇帝は「たいへん結構でした」と単なる社交辞令程度。チャイコフスキーはありがたくその言葉を受けながらも大いに不満、その日の日記に「結構だったとさ!」と。
しかし、現在ではバレエ音楽史上重要な作品として世界中で上演。

作曲家にはとても多いが、”屈折した人生”を送ったチャイコフスキーも、後世には世界中でその作品を絶賛され、その死後、音楽界に与えた影響は測り知れない。
1840年、ヴィトキンスクに生まれ、1893年、ペテルブルグで、その孤独と苦悩、矛盾に満ちた53年の生涯を終える。

チャイコフスキーはたまに聴くが、発想豊かで華麗な旋律である「ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23」
も好きな楽曲だ。
また世界の一流演奏家への登竜門といわれるチャイコフスキー国際コンクールは、1958年からはじまり、
4年ごとに開催されている。
そして、あの熱狂の02’ワールドカップの最中、日本がロシアに勝利した後にロシアでは”暴動”が起きた
のだが、その10日後の02年6月23日、チャイコフスキーコンクールで(その中でも特にピアノ部門は
世界最高峰と言われる)初めて日本人のピアニスト上原彩子さんが優勝することとなった。