野球少年だった

【僕の西鉄ライオンズ
僕は野球少年だった。しかも、熱心な。高校では野球部に入りキャプテンやってた。自分の出身校は運動系は恐ろしく弱い高校で、野球部も伝統的に弱く、良くて3回戦止まりだった、が。
野球部に入りながら、英語部とか可愛いおんなの子が多そうな文化系クラブにもたまに顔を出していた。おんなの子にモテたくてバンドを組み、音楽もやっていた。あの頃は悪さもしたし、喧嘩もした。勉強はそこそこやってたが、毎日やることが多く、今思うと、凝縮した日々を送ってたのだろう。
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小学校の始めの頃は、三原さんの西鉄ライオンズが3連覇の頃で、別府出身の稲尾や高松出身の中西、水戸出身の豊田は、いつも夢に出てくる程熱心に応援していた。あの頃、僕らのまわりにはサッカーボールなんて見たこともなかった。小学校3年の時に初めてグローブを手にし興奮しながら上級生に混じって野球をやりだした。
昭和30年代にはどこにも原っぱがあって、自分だけでなくみんなが野球少年だった。
【絶望と喪失感】
私の興味は、最近はほとんどサッカーに変わってしまったけど、元々の興味もあるし、チケット取ってたまーにダイエーのゲームは観戦に行く。好きな田口や大道が出ると嬉しくなる。彼らは殆ど出場の機会がなくて残念ではあるが。ベンチでの田口の大声だけは球場に行くと聞こえるが(笑)
7歳の頃から45年以上はプロ野球は見ているので、そういう意味では長い野球ファンと言えるかもしれない。
黒い霧事件や球団身売り、地元球団誘致運動など、多くのことを見聞きし、経験してきたので、昔と違ってプロ野球そのものを少しは冷静に見ることができるようになったが、あの頃の屈辱や喪失感は、とてもじゃないが数行では書き表せない。
野球に限らないのだろうが、時代の変化に伴って観客の価値観の変化や、観客の”感度”は高まり、実はそれらに追いついていない日本のプロ野球界は、大きな曲がり角に来ていると思うが、どうだろう。
【衰退の始まり・・】
プロ野球そのものは、メジャーを頂点にして、マスコミに大きく取り扱われ、いかにも華やかで栄華を誇っているように見えるが。
実は”プロ野球は衰退している”、そう、間違いなく、衰退の道を辿っている。
プロ野球については、そのうち続きを書こうと思ってますが、今日書きたかったのはその一点だ。

野球少年が、野球に、自分の喜びや楽しみを見出し、スーパースターに憧れながら、寝床でもボールを握って眠る。お父さん、お母さんと一緒に、華やかでトキメキの野球場へ野球を見に行ったりする。
そういう少年少女が増えて行くことを裾野を広げる、ということなのだろう。その裾野の広がりを「下部構造」ということにしよう。
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プロ野球を運営・管理し、選手たちの身分保全とファンに対するサービスを考え実行していく。これを「上部構造」ということにしよう。
上部構造と下部構造は表裏一体であるのだが、今は上部構造に、大きくガタつきや老害が出すぎている。資金も選手も一極集中の流れは、もはや時代のニーズには完全に合わない、プロ野球は観客の”感度の高まり”に合わなくなってきている。
それに気づかないオーナーが多すぎるし、彼らは一様に野球そのものを知らない。フレッシュで感度の良いオーナーは、残念ながら今は皆無に等しい。

下部構造にある夢や希望を大切に汲み取り、下部構造を意識した政策や運営をするべきであるが、それらは余り感じられない。一部の球団によっては努力されてされているが、上部構造の頂点に立つ人たちにはそういう長期展望は持ち合わせていない。球団の利得と保全としか眼中になさそうに見える。今回の近鉄に見られるごとく、親会社のサラリーマン社長や役員の発言の、どこにもそれらはない。彼らの発言は醜悪でさえある。
【笑顔と愛にあふれている】
いくらかましな人材がいるメジャーには、まだ救いがあるが。メジャーのゲームもドジャースタジアムで数試合、アナハイムで数試合観戦したが、メジャーには、観客が楽しくボールゲームを観戦できる素晴らしい雰囲気と、野球そのものへの憧憬を大切にしている、何より選手たちへの尊敬があるのだ。野球場には笑顔と愛があふれている。



*写真は、東欧で最も美しい街のひとつと言われる、プラハチェコ)の運河沿いの街並み。