一次予選最終戦の戦い方

06WCアジア一次予選の最終戦(対シンガポール)について、ジーコのコメントが一言あっただけで、「代表選手の選出」などの件で川淵氏はじめJ関係者、そしてそれを取り巻くマスメディアなどがヒートアップし喧々諤々のようですが、何もかも推測に次ぐ憶測情報。合せて妄想、それへの反応。
私は敢えてこの件についてはこちらでちょっと触れただけでコメントを抑えてきました。全ては何も決まってないし何も発表されていないのですから。
この件を少しだけ補足します。

私は昔からジーコが大好きですし、個人的にも、過去に僅かな「触れ合いの時間」もありましたので人物として尊敬・敬愛しています。
また我々の日本代表にも是非とも勝ち続けて欲しいと願っています。
だからこれまでジーコへの仕事ぶりに対して強烈な批判・非難はしても、私としては世間の”個人的パッシング”には許せないものがありました。
しかし、私は、彼の、代表監督としての「チーム作りや戦い方」については、最終予選を前にしてもなお、残念ながら、全く評価していません。

また、世間やネット界等で色分けされるように、簡単に批判派とか解任派とか、容認派とか擁護派とかいう表現も、好ましいとは全くもって思っていません。
私たちは、一人ひとりの立ち位置や意思は、そのように”括られる”ほど簡単ではないからです。むしろそれらの言葉を浅い思慮の中で”利便的”に使ったとしても、所詮、自己の主張を通す為に”排他的”(他者排除)に使う危険性が非常に大きいと思うからです。
68〜72年の鮮烈な政治的体験と壮絶な内ゲバ闘争の中、全共闘運動から軟弱にも転向した者があえて表現するとすれば、内なるゲバルトは原理的宗教運動と同じ「排除の論理」そのもの。
「人は一人ひとり持ってる温度も個性も違う」はずなのですから。

さて、シンガポール戦も消化試合とはいえ、これまでと同様、代表監督であるジーコが選手を選別し彼のやり方で戦うことでしょう。
私は、これまでの一次予選やアジア杯とは違う考えで選手選別してもいいのではないか、と思います。

しかし、ジーコが言うように「これまで日本サッカー界に功労があったものを選ぶ」とする前提で取り沙汰されているカズやゴン(最近代表に選出されてないし、候補にも挙がってない選手)を選ぶとすれば、「そんな余裕などは今の代表チームにはないだろ」と吐き捨てたくなるのも、正直否めません。
確かに彼らの功労や実績は認めるし、選手としても尊敬すべきとは思います。
しかしジーコは、私(たち)が賛同しないことをこれまで数限りなくやってきているので、別にそうなったとしてもそれほど騒ぎ立てすることもない、とも思います。この試合が意味するところは、大勢には全く影響しないのですから。

しかし、それでも尚、敢えて書けば。

最終予選に向かってどのように戦力を整備するのか、チームの戦力をどう向上させるのか。
”そのためにこそ”残された一次予選最終戦シンガポール代表との戦いをすべきだろう。

とも思います。
個人的には、海外組はチームに専念させ、怪我気味の選手は当然呼ばない、それに、左の村井、新井場、トップ下のニ川、FWの大黒など、先日の花試合(東京五輪40周年記念)に出場し期待を抱かせた日本選抜のメンバーから数名を選出し試すべきだろうと思います。
監督素人のジーコは、我々の願いや意図とは違う彼独特のイメージややり方で代表戦を戦ってきたので、おそらくこの試合も私が考えたようにはならないだろうと諦念しています。
ストレスを抱きながらも代表チームを応援するという情況は、これからも変わりない事でしょう。