哀愁

強烈な叱咤ブーイングで締めくくるべき試合後に、愚行を犯した一部鹿サポに対し、いかにも鬼の首でも取ったようにはしゃぎ嘲笑している”諸君”のふところの狭さ浅さに哀愁を感じます。
秋田事件以来チーム幹部も幹部だし、馬鹿なサポもサポ。
この事件に一番がっかりし、他の誰より深く悲しみ、胸を痛めているのが鹿島サポであること。
他のチームサポのヤツらに言われなくたってわかってるよ、そんな事。(自分の頭の上の蠅でも追っておけ)
冗談はさておき、この件こちらにコメントさせて頂きましたが、その一部を抜き取ると。

さて、投石事件含め国内に限らず、海外のどこでもこういう事件はありますが、できれば「規制」でなく「自制」を望みたいところです。
トンマージ(ローマ、伊代表)が、イタリア紙一頁全面に自費で「意見広告」した例もありますが、「マスコミ」や「ネット」やサポたちや、また一緒に見てる親たちが”ネガティブ”な面ばかりを強調してしまい、怒り、煽り、罵声、ため息、そういったものばかりに包まれるとサッカーそのものが掃き溜めのような環境となり、やがて子供たちがサッカーに夢を持てなくなる。
そうなれば「自分は辞める」
と彼は言ったらしいですが。
負けても尚、選手たちの戦いに対する、「評価」「賞賛」「感動」「励まし」「叱咤」「敬意」など、その底に愛がなければ。と思います。
サポには、時には深い落胆もありますが、選手たちから、私たちはいつも喜びや楽しみをもらっているのですから。
最近、思うことですが、サポを含めサッカーに関わる私たちにも、遠くを見る目、全体を見る目、流れを読む目、深い愛情で選手たちを見守る目、などが試されているのかも知れません。』