「三国志の旅」序章

orion10142005-01-12

■「呉下の阿蒙にあらず
無事に帰国しました。
留守中にわざわざ訪問下さった方、そして下にコメント頂いた皆様、ありがとうございます。
呉下の阿蒙にあらず」(江表伝):英訳すると、「I am not,What I was.」が近いでしょうか。

呉の武将・呂蒙は15〜6の時から従軍していた。あるとき、呉主・孫権呂蒙に勉学を薦めた。呂蒙は無学であったが、これを機に猛勉強する。
後年、魯粛呂蒙を訪れて談論した際、その昔とは打って変わった博学ぶりに驚いた。

「呉下の阿蒙」だけでは、知恵も学もない”無学の徒”を指す。
自分への戒めとしてこの言葉を取り上げましたが、「呉下の阿蒙にあらず」は、男子たるもの3日も離れたら新しい”目”を持っていないといけないという意味にも取れる。
■「三国志の旅」連載
留守の間に訪れた彼の国の話は、ボツボツ書いていきたいと思います。
今回は、そのほとんどが長江流域と漢水沿いの都市・史跡、中国湖北省の旅でしたが。「三国志」マニアの多くの同好の皆様、しばしお待ちを(笑)
写真も3台のカメラで500枚程撮ってきましたが、これから整理しつつ、こちらと「写真館」で紹介できればと思っています。
三国志の旅」は、長くなると思われますので日々連載的になると思います。
それと私信ですが、かって上海を荒らしたという噂の香港のid:tropicalmandaraばななさん、上海における”綺麗なお姉さん処”アドバイスありがとうございました(笑)
■東湖(湖北省武漢市)
*写真は、武漢市「東湖」の朝焼け:朝早めに出かけたら、美しい朝焼けの写真が撮れた。
湖北省は、千の湖を持つと表現されるくらい、至るところに湖や湖沼がある。

湖北省は、東西に長江が太く流れ、数多くの支流を持つ。
「長江(揚子江)」最大の支流が「漢水」であるが、長江が漢水とつながる地点が「武漢市」である。
武漢の街はこれまで太古の時代から、何度となく潅水期には多大な水害に見舞われたという。そういう意味では、街から340km離れた三峡ダムの完成が待たれる。
東湖は、何より中国人の誇りでもある。毛沢東周恩来もこの湖を愛した。私が行った日は、朝焼けの湖のほとりには柳が美しかったが、4月中旬ともなると、日本から日中国交回復記念で送られた桜の木も美しく咲くという。「それはそれは見事に美しい!」と、案内してくれた武漢美人の蒋さん(蒋さんについては後日書きたい)が、誇り高く話していた。湖の余りの静寂さに、私にとっては、死ぬ迄にもう一度行きたい場所となってしまった。