「三国志の旅」2

orion10142005-01-16

「燕雀安んぞ 鴻鵠の志を 知らんや」(えんじゃくいずくんぞ こうこくのこころざしを しらんや):「史記」陳渉世家
董卓(とうたく)暗殺に失敗した曹操(そうそう・後世に魏王となる)が県令(陳宮)に捕まる。暗殺の理由を聞かれて、曹操がこの言葉を引用。陳宮(ちんえい)は”この言葉に多いに感じ入り”官職を捨て、曹操と一緒に逃げる。(「三国志演義」)

ツバメやすずめなどの低い場所しか飛ばない小鳥には、大空を羽ばたく鴻(おおとり)の志がわかろうはずもない。小さな志しか持てない者に、大いなる野望は理解できないという意味か。

三国志時代」とは、その主たる時期を、今から1850年前の、西暦155年・曹操誕生から、西暦220年・曹操死去までをいう。
人々に語りつがれる物語の主人公は、蜀の劉備(りゅうび)であったり諸葛亮(しょかつりょう・孔明ともいう)であったりするが、実はその時代の骨格は、魏の曹操にあった。

曹操ほど、己の野心に忠実で、戦(いくさ)好きな人物はいないが、彼の冷酷無比な一面とともに、「宦官の横行と黄巾擾乱」の混乱の時代にあって、彼の人材登用ぶりは、他の追随を許さない。また彼は人のこころを衝き動かす言葉も備えていた。

現在においても尚、人々のこころを掴んで離さないこの物語は、多くの逸話や、故事成語を残し、幾多のドラマや薀蓄を残している。むろん、どこの国でも、どの時代でも、このような「時代」はあったのだろうが。

そして、三国志の物語の登場人物は300人以上。単なる国取り話しに終わらず、物語は「人物」に焦点を当てる。
人々は、「蜀」の義の人・関羽(かんう)が好きとか、「呉」の超美形・周瑜(しゅうゆ)に惹かれるとか、「魏」の王で人材登用に長けた・曹操(そうそう)が良いとか、彼らを探求し、そして終生追いかけるようになる。

関帝廟
*写真は、荊州(けいしゅう)関帝廟関羽
ここは、世界中にある無数の関帝廟の中の謂わば本陣である。関羽は、現在、中国人にとって神と崇められているが、三国志登場人物の中で唯一神となった人物であろうか。