春はスグそこ

orion10142005-03-10

以前に、「梅が枝餅」をおみやげにして上京するために、太宰府へ行ってきたのですが。
その頃は、「飛び梅伝説」の白い花は三分咲きでした。
すでに今頃は、満開の様子です。
この週末あたりが見ごろでしょうか。暖かくなるといいのですが。
沿道の「かさの家」で作られた梅が枝餅は、境内のベンチに座って春の風を感じながら食べると旨いのですが。
もちろん、家に帰ってからレンジで温めて食べても美味しいですね。
その時は、中国茶でなく、八女茶を。

 東風(こち)吹かば 
  においおこせよ梅の花 
   あるじなしとて春なわすれそ

右の写真は、つい先日(3月4日)の、太宰府天満宮の境内の裏の梅園の様子です。
<余談ですが>

こうやって、ネットに日記風の駄文書いていて。
その人の「ひとつのイメージ」が、カタチ作られるらしい。それぞれに。
文調、文体、あるいは語り口みたいなものがその基になるのだろうか。
どういう物の見方をするのか。ポジティブなのか、どちらかといえばネガティブな方か。色々と、人はイメージするのだ。
温かいのか冷たいのか。堅苦しいのか面白いのか。
色々と、人は想像・妄想するのだ。
さて、何らかの機会があって会ってみて。
「もっと、鋭い人だと思っていた」
「もっと、ギラギラしてる人と思っていた」
「もっと、キツい人だと思っていた」
みんな言うのだ。それを否定も肯定もしない。感じた人が、それぞれに感じたままであっていいのだ。
実生活が片方にあり。ネットでは息抜きと、ひとつのカタルシスのために自己表現する。
また、人々は、それとは別にそれぞれに、実生活で多くのものを抱え込んで生きている。

だから面白いし興味深い、と私は思う。

ここも始めてもうスグ1年となるが。
最近心がけていることがひとつある。
それは、ネガティブなネタには、可能な限りのポジティブな表現力と、ユーモア視点の深い懐が欲しいということだ。
書いてる者のほとんどが自覚がないことなのだが、批判・揶揄・嘲笑だらけだと画面が歪んでしまう。
自分の表現力では、なかなか困難極まることなのだが。
それと、いかにもネガティブな表現することばかりがBLOGではないということだ。色々あるから面白いのだろうが。

春は、もうスグそこまできている。