ジーコ。
彼が、代表に携わり凡そ3年が経過した。
私は、代表監督として、普通の監督の仕事をしない(できない)ことにはもう既に諦念している。
実は、最初から諦念しているのだが。一時は、新たな指揮官に代えてもまだ間に合うと思った時期もあった。
が、時は経過し、時たまグダグダのゲーム内容を織り込みながら、自力でのWC出場まで、あと勝ち点1のところまで来た。
代表監督としてのジーコには、「監督業」という統計だった勉強やプロセス(経験)を踏んでないが故に、数多くの根底的な問題がある。しかし、それが結果が出た場合は結果の後ろに隠れてしまうことが一番怖い。
私は、選手時代のジーコに好意を持ち、瞬間的にであっても、個人的にも触れ合いの時間*1を持ったことがあるので、ずっと複雑な思いで監督ジーコを見てきた。
さて、ジーコの仕事の仕方は、我々から見れば、極めておおざっぱで、信頼する人(ファミリー)への”人任せ”なところが元々強い。彼は、普段は、厳しくしかも細かく統率するタイプではなく、己の存在が全体に及ぼすことを良く自覚し、行動している。
良い、悪いは別にして、彼自身は、いつでも己自身が象徴であり続けたのだ。
それが代表監督という仕事に向くのかどうかは全く別問題として。
しかし、ジーコの、選手の意思をできるだけ汲み、「選手の自主性に任せる」という長所が、チーム内には、ここにきて良い方向へ発揮されるようになりつつある。
中田英寿の存在を通して。
このところの(1年以上前から)中田英寿のチーム(代表)への関わりは尋常ではない。
おそらく世界中の代表チームで、ヒデほどに代表チームのことを考え、深く関わっている中心選手はいないだろう、と思う。
彼は、カード累積で欠場するにも関わらず、北朝鮮戦を前にした二日前の練習において、あろうことかチャーターバスからボール運びをし、ミーティングの輪に入り、節々にジーコとミーティング・確認などをしているという。
また、北朝鮮とのゲームに、通訳であろうが、どんな役割でもいいので、ベンチ入りしたいと、協会の小倉さんに要求するに至っていると言う。
これらは、尋常ではないできごとだろう。
”自分のチーム”としてこのチームを昇華させようという想いが、彼の行動に表れている。(ちょっと文章がヘンだけど)
彼の「使命感」がどこから来るのか検討するに値する問題だと思うが、おそらく自らがチームを統率したいという強い意思(本人にはそのつもりは無くとも、周りからはそう見える)が、こういった行動に表れていることと、選手たちが、ヒデと同世代かもしくは若いということも彼を動きやすくしているのだろうと思う。
これは、ジーコが監督として、素人だからとか、頼りないからとかではない。
ヒデのこと(ヒデに限らず、選手のこと)を、ジーコが尊重しているからであり、ヒデの意見や具申をジーコが良く聞くということがあるのだろう。
リーダーとして最適任者である伸二(小野)が、怪我のため戦列を離れてから、より一層彼のその行動が際立ちネタになり始めた。
彼は、一番重要な時に、一番必要とされるタイミングで指揮を振るい始めたのだ。
大一番を迎えたバーレーン戦で、ヒデここにあり!を我々に見せしめたのだ。
ヒデは、セリエAの所属クラブでは無念・無為のシーズンを過ごした。
しかし、彼はサッカー選手としては、一番アブラの乗り切った時期を迎えている。
「副官論」も一時湧き起こったことがあるが、副官は実は、チーム内にいたのだ。