職人ばなし


今朝(7/1)は5時過ぎから、用事と仕事で遠出。500km越えのドライブも10連奏CDも間に合わず。
夜、近くを通りかかったので久しぶりに平田の親爺さんとこに立ち寄る。

瓦はり1年。家の基礎作りで1年。
給排水をしばらくやって、3年目にようやく大工職人としての修行。
遠回りしながら念願の仕事を割り与えられる。
柱のノミ当て1年。カンナがけを1年。そしていよいよ鋸(のこ)を持たされる。

日本酒片手に、親爺さんの話しは言葉数は少ないが、思わず身を乗り出す。

墨つぼ使えるようになるまで5年。7年目で、ようやくにして一人前の大工。
棟梁の苦労話しを聞く。
修行の身の頃の親方の厳しさ。
手を抜けない誇り。仕事への深い想い。
75を越えた先人は、噴飯ものの失敗した遊び(女性)話しを交えながら、朴訥に続く。

真実は「現実」の中にあるだろうし、実業は長く暮らしの底辺を支える。
そして、「野に咲く本物の人」の肌触り

と、親爺さんの深いシワを見ながら思う。
「檜(ひのき)にはね。殺菌作用もあるし、虫が寄り付かない。強いし、持つし、時間かけると光沢も出る。」「通気さえ良ければ千年は持つよ」「屋根瓦の下に檜の表皮を敷くのは、当たり前だった。表皮は生きてるから。」
「檜や杉の森が、今、どうなってるか知ってるかい?」
そして、すべてがユニットで簡単な組み立て。壁のクロスはアレルギー引き出す接着剤。
今の職人は腕がない。とか言いながら、若い衆を誰よりも可愛がっているのは平田さんである。
私は、職人ばなしが大好きである。
「時間があるときでいいから」と、年老いた平田さんに、檜の椅子を頼んだ。