義憤に感じる

昨日(7月2日)の雁ノ巣での浦項スティラーズとのTRMについては、「写真館」の方でコメントしました。
■義憤に感ずる
オシムさんの代表監督就任が現実的になっています。

06年WCの惨敗に端を発した川淵問題を含めた協会の憂うべく現在の状況や、ジェフ千葉(Jリーグ)側の痛手や不可抗力など、底に大きな問題は横たわってはいますが。

さて、オシムさんは何故行動しようとしているのか。
どちらにしても我々には伺い知ることのできない「オシムさんの眼前に開かれた”義憤”」は、オシムさんを突き動かすべく大きな力になったに違いないと思います。
このあたりはこれから少しづつ書いていきたいと思います。
以下は某所で書いたものに手を加えて。感ずるままに。

言葉の魔術師でもありウィットに富んだ表現を大切にする。尚且つ深く横たわる自らの人生経験から、オシムさんは直接的な物言いをする方ではありません。
また私はジェフサポのオシムさんを見送る心理の複雑さを十分に理解しているわけではありません。

実は、彼、オシムさんの「本意」はマスメディアから伝わってくるような単純な言葉では表現できないものであるように思っています。 

私は、 
状況はまるで(全然)違いますが、維新を実現した大久保(利通)体制に叛旗を翻した若者たちと、その若者たちの熱心な説得によって神輿(みこし)に乗った西郷隆盛を見る思いがします。

大久保は近代日本の成立の為官僚国家の基盤を作り、西郷さんは野へ下りました。
地元の士族たちは西郷さんを心から尊敬し日々こころの支えにしていました。
地方を覆った暗くて深い闇。そして本人の意思はともかく西郷さんさえ立てば人々は納得する。

静かに野に下った当時の西郷には私利私欲を越えた義憤があったように聞いています。言ってみれば自分の命は自分のものではない、という覚悟でしょうか。 

西郷さんは安政の大獄吉田松陰とともに処刑された福井藩士橋本佐内の手紙を終生手元に置き死を迎える日まで繰り返し読んだといいます。橋本は「大義」の人でした。
サムライとしてというよりも人として、損得、利害、現世の名誉、毀誉褒貶などを越えた世界を自らのふところに大切にしていました。

自らは望まぬが、どうにも「動かざろう得ない」状況が目の前にある。
それがオシムさんの目前に広がったのではないか、と私は思っています。 

オシムさんのサッカーに対する真面目で真摯な姿勢はともかく、その行動や生き方は論理性を越えたものがあると私は見ています。

それであるがゆえに、この闇を自ら作り出した川淵氏の罪は重いと言わざろうえない。