代表チームの変質

■放浪の旅の終焉
02年日韓WCの開催時期。私は東京での長い赴任を終え、実家のある福岡へ帰ってきた。
それまでは海外諸国も含めあちこちに出ることが多く、東京以前には大阪にも5年ほど住んでいた。
仕事の関係もあって全国の主要各都市に出かけた。ただし福井県以外に、〜何故か福井には縁がなかったw
ありがたいことに各地方の方々と知り合いになり、それらの人々を通して見聞を広めることもできた。
日本の各地方には、本当に美しく豊かな自然がある。
また、地方(地域)ごとに生活習慣や風土が多種多様に異なり、実に様々な生活観や価値観があることがわかった。
北国には北国の良さがあり南に行けば南の素晴らしさがあった。
各地にはうまい食べ物とそれに合う酒もあった。
地方にはひとつとして同じカラーは無かった。
また、私の楽しみの一つはたまに会う子供の成長であった。
二人の子供たちが幼稚園の頃からサッカーをやっていた関係で、単身里帰りの時には子供たちの部活の後押しをした。そして普段の不義理(触れ合いの少なさ)を埋めるべく、福岡県内はもちろん熊本や長崎にも遠征で出かけた。
今では20歳を過ぎた彼らとの共通の良き思い出だ。
■マイクラブを持つ喜び=サポーターへの道
東京時代には、仕事の繋がりもあってJ創設から鹿島スタジアムへ良く出かけていた。しかしその頃はどちらかといえば代表チームの方に熱を入れていたように思う。
福岡へ帰り生活基盤を落ち着かせた今、実は地元の愛するクラブを持つという喜びを感じるようになった。
地方の中小のクラブは、どこも財政的にも経営的にも不安定である。
いずれも経験値も浅く素人に毛の生えたような連中が経営・運営に携わっているから仕方のないことであるが。
それらを引き受けた上で、あらゆる環境・条件を引き受けることがサポーターの道であろうかと思っている。(”引き受ける”とは、安易に「認めてしまう」という意味ではない)
サッカーを知らない連中から見ればなんとも酔狂な話であるが、クラブの後援会だけでなくファンクラブもまた一番高いシーズンシートにも投資し、できる限りの後押しをしようとしている。
これは、当然ながら好きとか嫌いとかいう次元ではない。地元にプロサッカークラブがある幸せを味合うことは、相応の負担と、併せて苦しみやストレスも発生させる。それらを引き受けてその地方で生活するという意味だ。
そして昨今は、チームの若い選手たちの成長はこころからの楽しみとなり喜びとなった。
わが子の成長を見ることにも似ている。
■代表チームの大きな変質
ここ数年で代表チームは大きく変貌した。
もちろん選手たちにとってはいつまでも”あこがれ”であり目標であることは変わらないであろうが。チームのあり様としては大きく変質してきている。
「代表チーム」を運営・統括しているのは日本サッカー協会である。
(以下、つづく)