もはや”死に体”川淵、鳴りを潜めて風を読む

7月21日のオシムさんの日本代表監督就任によって風向きは変わった、ように見える。
ブラジル戦の終わったあの日、誰もが未来への希望を失いかけた。WC惨敗後には焼け野が原だけが眼前に広がったのだ。
無論、焼け跡にはペンペン草も生えてはいない。新緑の匂いさえ遠く山の向こう。

そして風を読むことに敏な川淵氏は誰にも一息もつかせぬまま瞬時に手を打った。
そこに会長としての謙虚さも、サッカー人としての真摯さも消えうせていた。
第一、彼は失言などしちゃあいない。
自らの火の粉を振り払うがためにオシムさんを使っただけなのだ。
代表チームが負けようが弱かろうが知ったこっちゃない。Jリーグのクラブの一つがどうなろうと知ったこっちゃない。今となっては自らの立場や地位こそが彼にとっては一大事。
金づるである代表チームの利権を一手に握り、この火の粉がほとぼり冷めたらオシムさんの首だってどうなるものか。
10年前の情熱を亡くした彼はもはやサッカーなど愛しちゃいない。
そして取り囲み群がるサッカージャーナリストとスポーツメディア。そばに仕える腰巾着女史。
そこに自らの食い扶持やネタさえあればどうでもいい。
連中は、もはや異臭漂うサッカー協会のことなどどうでもいいかのごとくオシムさんの一挙手一投足を固唾を呑んで見守っている。
風は、確かに川淵さんにとって順風のようだ。
しかし。
声なき声の人々の足音とメッセージが、地平の彼方まで増殖を始めている。