33年ぶりのデモ

■かってない活性化
何もデモがあるから九州から上京したわけではない。
純粋に、オシムさんの代表チームの船出が見たかったから懸命に仕事をやり繰りして時間作った。そしてついでにデモにも共鳴して参加させていただいた。

オシムさんは最初にわずか13人を選出した。
その大きな意味を持つオシムさんの選び方に協会を含む日本サッカー界に大きな波紋が起きた。そして追加の5人を発表した時点で、メディアを含む停滞し沈下した日本サッカー界がかってないほどに大きく活性化したように見えた。
まだ試合は始まってないのに、である。

選手選考の確かさは無論のことであるが、オシムさんが放出する大きな刺激と収集力は大したものである。彼は一人で時代情況を変えようとしているように見える。
まあそれも仕方のないことだ。3大会WC出場を果たしたとはいえ、見守り続ける我々にとってはこの4年間の停滞感と言い様のない諦念感はひどいものであった。
そうさせたのは間違いなく独断専行の川淵氏である。
■いずれも真面目な参加者
その川淵氏への、「意思表示」の仕方はデモが全てではない。しかしデモも意思表示のひとつである。
当日競技場周辺道路を一緒に歩いて見て、参加された皆さんの真摯な表情やサッカーに対する真面目な姿勢にこころ打たれたのは正直な気持ちである。
こういうことに慣れない事務局や、何の見返りも打算もない気持ちで準備される方々、また終わった後の片付けなどに懸命になった人々のことを、私はこころからリスペクトしたい。また影になって汗をかいた彼らの努力をねぎらいたいと思う。
最近は協会の腰巾着新聞になりつつある朝日新聞以外はこのデモのことを報道し、参加者人数をそれぞれに数値化していた。通常は主催者発表と並んで官憲が発表するのが常であるが、今回はそれがなかった。しかしまさか400人(一人ひとり人数を数えた訳ではないが”かっての経験から”そう見た)の人々が集まろうとは事務局でさえ予期してなかったことだろう。
参加したくてもできない人、ネットやニュースを見て同調する人々は相当な数に上っただろう。実際、隊列に入れない横の歩道を一緒に歩く人々は相当数いたし、あの現場には警察に届け出た数の何倍もの人が集まっていたのだ。

デモについて批判的にあれこれ揶揄している方々のことは放っておけば良い。ジーコジャパンを高度な分析であれ程評価していたにも限らず、WC惨敗後はその総括さえ放り投げてる連中にとやかく言われる筋合いはない。

そして、何も我々はサッカー協会を転覆させようとか、川淵氏に取って代わろうとかしているのではない。ただこれまでの4年間はもう二度と繰り返したくないと思っているだけなのだ。
この国のサッカー界に金権主義も権威主義も不要である。オシムさんをしっかりサポートする体制を作ってもらう為にもここは声を上げなければなるまい。
■Jクラブサポと代表サポの連合体
私は全共闘世代で何十回もデモに参加した経験を持つが、このような真面目で小さなデモは実にほほえましいものである。かっての時代に自分らが行動したような「協会や川淵氏を抹殺しようとか、何かを破壊しようとか」いうような日常を越えるものは何ひとつ無かった。
それこそ日常の延長線にあるものであった。
もちろん何もせず家に閉じこもっているだけの人々が心配してるようなラジカルさも穏健さもない。単なる代表サポとJリーグサポの連合体が個々に意思を持って行進をした。
そのデモには、私がかねてから知ってる人々や日頃から敬愛している方々、またネットを通して縁ができた方が数多く参加されていた。
行動しなければ何も始まらない。そしてこのデモは個人個人がそれぞれの意思を持ち寄って時間通りに始まった。
参加したから言うわけではないが、このデモは大成功であった。

■おまけ
この日は、ゲーム開始前に時間があったので友人たちとJFAハウスへ立ち寄ってきた。
立派なビルを構えたこちらにはJリーグ本部をはじめ日本サッカー協会がある。
個人的にはこのビル前の場所までデモをしたいところだがそれは適わぬことなので、試合前に「想い」だけを置いてきた。
川淵氏は”終わっている”が、協会の現場で働く人々はこのビルの中で真摯に仕事をされているはずである。
それと私は川淵氏の仕事ぶりや言動ぶりに大きな問題を感じているが川淵氏の存在自体を否定するつもりは全くない。
このビルのミュージアムに、殿堂入りした方々を称えるレリーフを展示した部屋があった。おそらく川淵氏もやがては殿堂入りすることであろう。過去にそれだけの功績や実績はある方だ。
それなのに、である。
私はこの日JFAビルのオフィシャルショップで購入した「レッドカード」を胸のポケットに入れて国立競技場へ向かった。