博多の男の源流

[中野正剛広田弘毅]
■激情自ら逝く
数日前から筑前玄洋に関係した本を読む。
戦前から戦中にかけて国を背負って立った福岡人ふたり。いずれも戦後日本の歴史の中に葬り去られ、「右翼」「戦犯」という忌まわしいレッテルだけ貼らされている。
方や中野は、武闘派。
そして広田は、文治派。
相対比較されるふたりの男は頭山満を筆頭とする筑前福岡の玄洋社の系譜を深く繋ぐ。
中野は、議会政治や民主主義を学ぶ為にイギリスへの船旅の途中、寄港したアジアの都市のほとんどににユニオン・ジャックがはためいていたのを見る。往時の彼はこれを見てアジア復興への激しい感情を抱き「亡国の山河」を書く。
戦前の為政者をひとくくりにして欧米列強の帝国主義に対峙する日本帝国主義者と見られ勝ちであるが、実際は違う。
中野の思想は日本を戦争へと駆り立てたアジア主義ではなく、欧米列強に支配されたアジア諸国の解放闘争であった。
頭山は、日本の伝統的な右翼であったが、中野のふところには革命思想があった。
やがて彼は戦時首相であった東条英機を痛烈に批判し、憲兵に追い込まれ自決する。
「国は経済によって滅びず、敗戦によりてすら滅びず、指導者が自信を喪失し、国民が帰趨に迷うことによりて滅びるのである。」という、安直な東条批判にとどまらない普遍的な国家指導者を語る名文を残し。
■自ら、弁明せず
福岡には言い訳をする男を一人前に見ない思想が残る。
男は預かり知らぬ他者の評価や評判などに耳を傾けず、また一切の弁明をせず真っ直ぐ己の道を歩むもの。
中野と同じく、修猷館ー早稲田ー朝日新聞の道を歩いた広田もまた東条に賛同しない一人であった。
彼は王陽明の「伝習録」を学び、漢詩を深く学んだ。*1
本来、東条に異を唱えたはずの彼は誤って戦争犯罪人A級戦犯)のレッテルを貼られたが、彼は一切の弁明を行わず処刑台を上った。
「殺身成仁」(身を殺して仁を成す)は、頭山満の言葉である。
■志、高く
福岡ではまもなく市長選挙が告示される。
決して政治的な行動ということでなく、現在、各候補者を訪ね候補者と懇談を重ねている。
地元サッカークラブの迷走や脆弱さに対し、何も行政頼りにするつもりもないが。
市民クラブとしてのアビスパ福岡の成り立ちと改革を候補者にも理解を求めこちらからも意見を申し上げている。
候補者たちはしっかり時間を取り熱心に耳を傾けて下さる。
しかし我々に対し単なる票集めの対象としてだけでなく、今後とも長く地元のサッカー文化の熟成に理解を示して欲しい。
そして彼らもまた、この地に生きた先人のように、自らの存在を賭けた哲学と大きな志は失って欲しくないものだ。

*1:市内の老舗料亭「老松」には広田の見事な書が掲げられている。豪放な中に緻密さを兼ね備えた人間・広田弘毅を表現する書である。書を見て愕然と立ち止まったのは、土佐北川村で見た維新の志士・中岡慎太郎の骨太い書以来であった。