因縁との清算

■神戸、川勝から松田へ
A.1999年、ヴィッセル神戸は、長谷川チーム統括部長の要請で川勝氏が監督就任。(その後長谷川氏は01年末に名古屋グランパス編成担当部長に就任)
99年当時ヴィッセルに在籍していた選手が布部(当時DF)、吉村。
B.2002年7月川勝氏成績不振によりヴィッセル神戸の監督を解任される。
C.同じく7月31日、松田コーチがヴィッセル神戸の監督に就任。

チームはカズ、岡野、薮田のFW陣に、新たに播戸、城など大型補強するも序盤から不振。監督交代でようやく持ち直し降格を逃れる。
現在アビスパ在籍選手で、この時期、両監督を経験したのが薮田、吉村、佐伯など。

D.翌年末ヴィッセルは、この年までの経営不振により債務超過に陥り、民事再生法提出。事実上の倒産により三木谷氏へ経営譲渡する。

ダイエー撤退後のヴィッセル神戸は、神戸市からの支援(単年度貸付)でなんとか持ち応えていた。またクラブ幹部は神戸市からの出向社員で成り立っていた。

E.松田氏は03年シーズンよりアビスパ福岡の監督に就任。アビスパは05年J1へ昇格。
■福岡、松田から川勝へ
A.2006年シーズンを前に、前年12月末、長谷川治久氏がチーム統括グループ長に就任。
B.2006年、5月松田氏、1勝6敗5分の16位の成績不振を理由にアビスパ福岡の監督を解任。
C.同じく6月、法政大のコーチ川勝氏アビスパ福岡の監督に就任。
D.同じく8月、松田氏、ヴィッセル神戸監督に就任。
E.同じく12月、長谷川チーム統括グループ長が辞任(記者会見で社長が報告)。

実は長谷川氏は後1年在籍し、更に第三セクターであるクラブから貪り(ムサボリ)続け、サッカー素人幹部をいいことにクラブを倒産状態に陥れる算段であった。

今期4月の株主総会で32億円の大幅減資で累積赤字を償却したアビスパ福岡は、長谷川氏の無茶苦茶なチーム運営で実は債務超過寸前ともいえる。
■入替え戦
二人の監督の縁尋奇妙(エンジンキミョウ)はともかく。この戦いを締めくくりに、アビスパ福岡は長谷川、川勝の”負の連鎖”から清算するためにも、残留を果たさなければならない。

J1、16位アビスパ福岡(川勝監督)対J2、3位ヴィッセル神戸(松田監督)
[入替え戦]
12月6日19時〜:神戸ウィングスタジアム
12月9日16時〜:博多の森競技場