麺紀行

■序章
いきなり身の上話しでもないのですが。
自分のことで恐縮ですが私は1歳で父を亡くし事情があって3歳の頃に母親と別々の生活をすることになりました。小さい頃から親戚の家に預けられこれまで多くの方に世話になってきました。自然の中で育った幼少の頃、当時はどこの家も貧しく米飯が十分に食卓に並ぶ家などはありませんでした。
その頃の主食といえばうどん。
成長して少しは豊かな生活ができるようになると、腹を満たす為に食べていたうどんは余り食べたい食べ物ではなく、蕎麦やむしろラーメンの方を好んで食べるようになりました。日清のチキンラーメン明星チャルメラなどは学生の頃の夜中の必需品でもありました。
「うどんが美味しい!」と思うようになったのは20代になってからです。
学生時代に明治維新の志士たちにとても興味を持つようになり、ある時郷土で中岡慎太郎を研究されている方を訪ねる為に、生まれて初めて土佐へ行くことになりました。
土佐行きのその帰り。
友人に連れられ、讃岐でうどんを食べたその時の感動は今でも覚えています。
それからです。元々麺類好きの私に讃岐うどんが火をつけることになりました。
その時から少しづつ麺類についての研究するようになりました。
研究と言ってもただ食べ歩くだけなのですが(笑)
うどんの国内の発祥の地は博多。しかし博多のうどんは讃岐のうどんとは真逆のもので、食べ方もこころ構えも全く違うものです。
これから、少しづつですが。
麺のことについて書いていければ、と思います。(時間のある時に)
□番外:器のはなし
佐賀県の焼物の町の有田の陶工の方々が集まり「ラーメン鉢プロジェクト」を立ちあげて3年になります。
陶工の方々は、当初10年で10万鉢の販売を目標にしていたそうです。それがラーメン愛好家の方々に支持され目標をなんと3年で達成!!

チキンラーメンを美味しく食べる為に!」という目的で、現代の名工たちの腕で作ったラーメン専用の器
彼らは3周年記念に”究極”のラーメン鉢を発売することになりました。
33セット限定の3万円(!?)の記念鉢。それはそれは見事に美しい有田焼き。
今日の午前中に有田のまるぶんさんへ電話して確かめると、まだ販売中とか(笑)
昭和23年に創刊した「暮らしの手帖」は広告を掲載しない良質な読者に支えられ続けている雑誌ですが。有田の名工たちが造る「ラーメン専用鉢」はその「暮らしの手帖」のオンラインショップにも掲載されています。