第二の明神

明神智和
現在のガンバ大阪チームキャプテンである明神智和は、00年から、02年までの2年間、日本代表チームの中心選手でした。

明神はWC(02年日韓WC)にも出場し、チームをベスト16へと導きました。
ご存知のように、当時の代表監督であるトルシエに、「8人の明神と3人のクレージーがいれば勝てる」と表現された選手で、小野伸二や稲本、中田英寿のいたトルシエのチームは、明神抜きには考えられないチームでした。
その後、西野朗に一方的に惚れられた明神は、柏レイソルからガンバへと移籍しました。

なるほど、明神が加入したガンバは、”うまい”だけのチームから勝てるチームへとたくましく変貌し、今ではACLの常連となり、ナビスコカップ優勝や、昨年(09年)は見事、天皇杯連覇の栄誉に輝きました。
明神は、豊富な運動量だけでなく、中盤の底に位置し、名うてのバランサーとしてチームをまとめあげ、その点に関してだけいえば、現在、国内最高の選手といってよいかも知れません。
秀でた技術で結果を出し、目立った活躍をする選手はいつでも大きく取り扱われます。
しかし、「個」よりも、何よりチームプレーに徹し、そしてチームのために奮闘する明神のような、貴重な選手は、なかなかいません。
末吉隼也
個人的に、今季、注目していた福岡大学から加入した末吉が、博多の森で、見事に開幕戦デビューを果たしました。
大学出身の選手が開幕戦デビューを果たし、そしてそのゲームでフルに活躍する、というのは果たして何年ぶりでしょうか。
開幕戦。
J1から降格したチームである甲府が相手でしたが、現在の甲府というチームが(余りにも)未整備で、チームとしての体をなしていないこともありましたが、中盤の選手たちの活躍で福岡が完勝しました。
甲府は、前線に屈強なだけのFWを配置し、一見すると怖いチームのように見えます。
しかし、福岡は、屈強な前線の選手を生かすはずの名手・藤田健の前にスペースを与えず、藤田を自由にさせなかったことで、甲府につけいるスキを与えませんでした。
福岡が緩くなった後半のおしまいの時間以外のほとんどの時間、甲府はセカンドボールを全く拾えず、シュート数も僅かに4本。
甲府は、怖い3トップの左右の選手が、チームとしてのつなぎの役割を果たしていないことで、大事な場面でスペースは作れず、ボールはつなげず、チームとして、たいした攻撃ができませんでした。
もちろん、そういう状況にしたのは、福岡のボランチ二人の非常にクレバーな動きと、互いの連携があったからだと思います。
慶応出身の中町とともに、センターを任された末吉は、随所に素晴らしい動きを見せていました。
この二人は、今まで、福岡になかった(福岡らしくない)チームとしての”知性”といってもいいかも知れません。
開幕戦、福岡大学を日本一に導いた末吉のセンターの動きは、今後に向けて、大きな可能性を感じた次第です。
個人的な見方でしかありませんが、この福岡に「第二の明神」が誕生しつつあると。

時間があれば、開幕戦で、素晴らしいスキルを見せていた永里源気についても書きたいと思っています、が。