「日本代表」あの頃、ボクたちは・・

そうだ、2年前の今ごろ。
02年4月17日、横浜国際に6万4千7百人を集めコスタリカ代表と親善試合を行った。明神のクロスがゴールネットを揺らし1−1で分けた。
現在、ジーコからは呼ばれもしない明神は、「的確な状況判断、バランス感覚。出場した81分間はまさに明神ならではだった。前半はボランチ、後半は右サイドに回った。トルシエ監督からは攻撃的な左サイド(三都主)との『バランスを取れ』と指示されたが、それを難なくこなした。」
トルシエは、代表に明神がいなくてはならない存在であることを我々に見せた。
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また、このゲーム、トルシエは、先発のオガサを前半23分、ヤナギを同じ26分に引っ込め交代させる非情采配をとる。
トルシエは、『小笠原はポジションが低すぎて攻撃に絡めなかった。そういう選手だと分かっていて彼を選んだ私の責任だ。柳沢は疲れていたように見えた。そのへんを観察して采配を振るのが私の仕事』
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しかも、後半35分には俊輔を入れて、このチームになって初の4バックを試し俊輔の生かし方を一度、模索。

その3週間前には、ポーランドへ遠征し、トルシエジャパンの韓日WCでの日本代表の原型を完成させる。
GK川口、DF松田、宮本、中田浩、MF市川(波戸)、戸田(明神)、稲本(福西)、小野、ヒデ、
FW高原(クボ)、隆行

ヒデ、高原の得点で、2−0の完勝。

特に、このゲームは、ヒデの右スペースへのパスに合わせた市川の右クロスが2得点にからむ、ひとつの
WCモデル(市川バージョン?)を確認。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/kiji/2002/03/28/01.html
ゲームを観戦した韓国代表監督のヒディングは『よく守ってよくプレスが利いていた。非常にいい試合。
日本のスタイルが好きだ』。トルシエ監督に対しては『アドバイスすることはない。彼は日本をよく知って
いる』とベタ褒め。韓国のテレビ局4社など、約15人の記者が訪れるなど1次リーグD組で同組のポーラン
ドの実力を偵察しに来た。

その前の3月21日は、大阪長居スタジアムウクライナを迎えた。
ヤナギのアシストで戸田の代表初ゴール。1−0で勝利。
その後本番でも見ることができたヤナギと2列目の相性の良さを我々は垣間見ることができた。

着々と、トルシエによって、チームが熟成されていく過程を我々は見ることができたのだ。

今は、「決定力ないから」って。代表練習でシュート練習してるらしい、ね(爆)