断末魔の鉄道会社

以下は戯言の駄文です。(たまには己の溜まった毒を吐き出すことも必要かと)
気分よく一日を過ごしたい方はどうかスルーなさって下さい。

私は鉄道記念日に生を受けた。

だからという訳ではないが小さい頃から電車が好きだった。

小さい頃、ずっと、路面電車蒸気機関車、新型車両、寝台列車などに深い関心を持っていた。

海外でも機会があれば鉄道に乗った。

むかし、夏の入道雲が白く輝く季節、やけた線路に小さな耳を当て、遠く走る鉄道の音を、微かに聞くのが好きだった。

小さな麦わら帽子で、線路伝いに歩くのが好きだった。

最近は飛行機や車での移動が多く、昔のように急行電車や特急・各駅停車を乗り継ぐ旅は少なくなってしまった。

今はなくなってしまったが、10代の頃は博多駅から急行で大垣(岐阜)まで行き深夜にそこで乗り換え、東海道線を急行で東京まで何度か乗ったこともあった。
日本海側を走る寝台列車にも乗った。窓から流れる家並みや田畑を眺めるのが好きだった。各駅停車に乗って水筒持参で駅弁食べた。
時めく気持ちを抑えきれず電車に飛び乗ってカノ人に何度も会いに行った。
蒸気機関車はほんの一部で観光用に残ってはいるが、私の小さい子供を連れて津和野(山口)まで走ったこともあった。黒い煙を上げてまるで生き物のように走る列車に、親子で興奮していた。

そして、
昔から鉄道会社は運輸業界だけでなく、社会的にも安定した良いイメージの企業であった。

都市では、60年代以降鉄道沿線に街は遠く伸びたし、生活者にとって鉄道はなくてはならない交通手段であった。友人も勤務していたが、仕事する彼らは、いつでも誇りを持ち、プライド胸に、公共交通機関の仕事に従事していた。

残念なことに、このところの鉄道会社の評判は、まるで良くない。
近鉄いやがらせ 藤井寺使うな

ある年の、野茂が開幕戦に先発する日。野茂は球場に車で乗り付けた。いつもの停めるべき駐車場は、何故か、ものものしく封鎖されていた。聞くと、近鉄(本社)幹部の車が開幕戦を見に来るから、駐車は駄目だと言う。当然ながら野茂は怒った。帰ろうとしたのを、選手たち仲間がとめた。
近鉄とはそういう体質の幹部がのうのうと生きてる企業だ。
後に野茂は、愛想つかしてアメリカ・メジャーへと旅立った。

選手を愛してない会社(幹部)は、球団など持つ資格はない。商売(営業)がわかってない本社は、デスクに大勢の幹部がガン首並べ、彼らは退職金もらうまで何もしないで勤務しているだけだ。
西武鉄道有価証券報告書虚偽記載事件

世も末だ。西武鉄道は、上場廃止となってしまった。まもなく西武鉄道の株券は売買できない紙クズ同然となる。(40年以上も虚偽の報告し続け信頼を損なった上に、上場基準の緩いジャスダックに乗り換えるとの話もあるが)球団もやがて身売りされるだろう。
基を辿ると近江商人でもある堤一族は、この先、つつましく清廉さを身上としてきた近江商人の恥ともなる。基盤を作った先人たちは墓の下で泣いているに違いない。

西武鉄道総会屋利益供与事件
■横柄な鉄道会社のバス
鉄道会社がバス事業へと進出し、高速道路を時間に追われて走るようになった。九州では、クラクションの大音量を高速道路の料金所で鳴らすのは、その殆どが最大手西鉄の高速バスだ。軽自動車のお母さんは助手席に子供を乗せ、後ろからのバスに追われるように料金を払っていたのを見かけたことがある。
■断末魔の鉄道会社
その昔、多くの鉄道会社はプロ野球球団を持ったのだが。そのいずれもが瀕死の状態だ。

日本のプロ野球球界そのものが変節の時期を迎えていることもあるが、プロ球界ではこの秋、明治大学の一学生が原因で3人のオーナーが首を飛ばされた。
社会の価値観の多様化や進化に伴って、彼らは変わらなければならないハズなのだが、自らは変われないでいるのだろう。

鉄道会社も同様だろうか。
今では、鉄道会社の一部会社幹部には多くの悪い噂がつきまとい、料簡の狭い政治屋と繋がり、場合によっては会社の事業そのものが利権で生きていくようになった。
税金から大量の補助金助成金が投入され、当たり前のように生きていくようになった。ある意味、彼らの事業のやり口はヤクザ以下だ。ゴロつきのような硬直した組合幹部も中にはいるが。
(こんな表現で、鉄道会社関係に勤務の皆様御免なさい)
そういう意味で、彼ら(幹部たち)はそろそろ社会的制裁を受ける時期にきてるのだろうか。

私は、昔から、鉄道が好きだった。