「留魂録」

「義卿(ぎけい)三十、四時巳に備はる、亦秀で実る、其の秕(しいな)たると其の粟たると吾が知る所に非ず。
若し同志の士、其の微衷(びちゅう)を憐み継紹(けいしょう)の人ならば、乃ち後来の種子未だ絶えず、
自ら禾稼(くわか)の有年に恥ぢざるなり。同志其れ是れを考思せよ」<吉田松陰留魂録」(りゅうこんろく)より>
     身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも 留置まし大和魂

吉田松陰は、金も政治的影響力もない一介の私塾の講師。24歳の時にアメリカへの密航に失敗しその後は牢獄や自宅謹慎。30歳にしてで刑死(安政の大獄にて)。
しかし、その松蔭の「志」の高さがやがて時代を大きく突き動かす。彼の、精魂傾けたいわば”人材育成”が近代日本を生み出す根源となったと言えようか。彼の影響を受けた志士たちに、木戸孝允高杉晋作久坂玄瑞伊藤博文山県有朋前原一誠など。いずれも山口の小さな村から輩出した。