「ジーコの物指しヒデの尺度」その3.

「ジーコの物指しヒデの尺度」その1.
「ジーコの物指しヒデの尺度」その2.

■ヒデの時代
ジーコジャパン」と表されているが実は今の代表チームは、総じて「ヒデの時代」のチームである。
後世、史家による分析が行われた際には、恐らくそのように分析されることだろう。
3大会連続のドイツWC出場が決まり、今、まさに「ヒデの時代」の最終年が蓋を開けた、と言って良い。

始まりは、その時だった。フランスWCアジア最終予選
あれは、いつのゲームであったか。日本代表が絶好のポジションでFKを得た。
おそらくゲーム前にセットプレーを受け持つ選手が決められていたのだろう。ヒデが準備をした。
しかし、蹴ったのはカズだった。
それが外れた後、ヒデはベンチ方向に目を剥き当然ながらの自己アピールをした。
その後、予選は終わり本大会のメンバーが発表された。岡田氏が読み上げたリストには、カズの名が無かった。その時、ヒデの時代が始まった。
代表におけるヒデの時代。
しかし、彼の時代が到来したフランスWCでは、ひとり違いは見せていたが彼はまだ若過ぎた。

■6月の勝利の歌を忘れない
シードされた自国開催のWCは、当初の目標通りに決勝トーナメント進出を果たした。
「6月の勝利の歌を忘れない」は、何度も見る。
そして、つい数日前の暑い夜にも見た。

右足を痛め腫らしながらも、ピッチ上のヒデは押しも押されもせぬ存在であったし、チームの屋台骨をいつでも背負っていた。
興奮を抑えることができないトルシエの名”檄”のその前に、ヒデが個々の選手たちに指示していた。DFに、ボランチに、そしてFWに。
彼らしく優しくない表現方法で。
まるでピッチの上空100mからゲームを眺めているかのような分析力で。
ヒデとトルシエはチームの勝利への方向性は合致していても、細部では温度差があった。どちらかといえば、チームの指揮官は、ヒデを半ば敬遠しながら已む無く使っていた面があったと思う。
プライド高き戦術を身につけた指揮官と、ピッチ上での判断力を研ぎ澄まそうとする中心選手。

■指揮官とヒデ
ジーコが赴任しても、ヒデは何も変わらなかった。
しかし代表チームに想いを馳せるヒデの発言は、これまでの2大会とは全然といって良いくらい違っていたし、熱があった。
細かい図面を用意しないジーコは常に選手視点。ジーコの視点とヒデの分析は、重なる部分が多かったのか。少なかったのか。
私は、協会が新たに指揮官を選出する際の第一のポイントは、ヒデだったと今でも思う。