「ネットと雑誌とスポ新」その2.

世間(メディアに影響された大衆)と現場(競技場)の温度はいつでも違う(!!)
現場(競技場)とTV(観戦)においても、その接点温度は違った位相である。
そして、競技場内におけるゴル裏とバクスタ、ゴル裏とその他においても、尚。
サッカーは、いつでもそれらを包括している。

サッカーは、競技場という閉鎖された空間で行われる最も複雑で高度なスポーツだ。しかも結果は最も単純である。
他のスポーツと違い、サッカーに関してだけは「サッカーを語る」とか「サッカーを分析する」あるいは「サッカーを批評する」という一種の文化がそこに存在する。
無論、どのスポーツにも物語りやドラマは存在するのだが。
またサッカーには、選手やクラブを後押しする強力で逞しいサポーターたちがいつでも存在する。
他のスポーツではただの観客でありファンしか存在しないのに、だ。
(大相撲にだけはタニマチがあるが)
人生の半ばをとうに過ぎた自分は世界の数多くのスポーツを見続けたが、サッカーが一番奥が深いと今では思っている。
サッカーに比ぶれば他のスポーツはただの見世物にしか過ぎない。

しかし、サッカーは何よりその熱狂度強く、競技場にある人々の感情をいつでも高度に揺さぶり続ける。

チームとしての1対1、正面きっての敵味方、そこに生じる非難憎悪など。ゲーム後に至ってもその「対幻想」がいつまでも心象残る。残りやすい。
見方を変えれば逆発想。
だからこそサッカーをより知性的に、冷静に語ることは非常に難しい。
(中国に限らず国内においてもなお未成熟な時代では、一部を除きゴル裏人たちに豊かな知性を発見することは難しいのだろう)

忘れてならないのは、リスペクトすべきはサッカーそのものであり、敵味方なく選手たちのことであろう。
さてー。

メディア側から発信される数多くの情報に、そのリスペクトと、サッカーへの温かな愛情は存在するだろうか。

メディア側に、それができる資質を持った人々が存在するのだろうか。

自分は、良質な文章をかけるプロのOBたちがもっと数多く出現して欲しいとも思うが。
少しも真髄を突いていない「オガサ移籍報道」を見ながらそう思った。

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