KAZUさんの壮行試合

最後に三ツ沢が荒れてしまった。

心無いアビスパサポーターのせいだ。
それを煽ったのは、結果的にウルトラオブリのリーダーである。
(彼は、いつでも”ピッチに向かって”煽っているのだが・笑)

神聖なる三ツ沢で、まるで”餓鬼のような”未熟な精神性を見せて。

このクラブが一流どころか成熟したクラブになるには、100年かかっても無理からぬことだろうと暗澹たる気持ちになってしまった。

ゲームは、負けることも、勝つこともある。それがサッカーだ。
サポーターは、クラブとともに成長する。
クラブは、サポーターのレベル程度にしか成長しない。

そして、ビッグクラブには、真の人間力あるウルトラリーダーが存在する。
もちろん、「人間力がある」とは、狭い限られたグループや社会で腕っぷしが強いとか、声がデカいとかではない。
ひとつには広い意味での人を惹きつける魅力を持つということである。ふたつには人としての器の大きさを持つということであろう。

そして、選手と、サポーターとが一体となってこそチームも強くなる。

この大事な時に、この終盤の重要な一戦に。

2連敗は確かに痛い。しかしこの日でこの世の終わりなのか。

確かに、ウルトラは身銭を切って、何の見返りも求めず、遠く、札幌へ、山形へ、水戸へ、小瀬へと足を運ぶ。
何年も辛抱しながら、落胆と悲劇との日々を送りながら、懸命にチームを後押し、応援してきた。選手の頑張りも、自分の生活を投げ打ってのウルトラが渦の中心になればこそ、であろう。
それはその通りだ。

しかし、この機に及んでピッチに向かい。ベンチに向かい拡声器のボリューム上げて、まるで酔っ払いのように、何度も何度も「松田、出て来い」「おい、こら、松田!」「恥ずかしくはないのか?」はない。
恥ずかしいのは叫んでる方だろう。ここはどこだ?居酒屋か?
そう叫んでみて、果たして何が変わる?
果たして、何が実現する?

やるせない気持ちを、サポーターの代表気取りで、彼は、何の特権と資格があってそれほど悪の空気を掻き乱すのか。
その空気に煽られ、岡山にガラス瓶を投げた若者には、終生、サッカー場には出入り禁止にすべきである。
サッカーでの終盤戦は、追う方が終われる方より強くて勢いがつく。これは世の常。
ここは、チームとサポーターが一心同体とならない限り、その苦しみを乗り越えることができない時期であろう。
崩れチンピラぶりを見せて、喜ぶのは、甲府と仙台のチームである。
今、チームを取り巻く一人ひとりが問われている。
ということで、カズ壮行試合は、見事に散りました。

(*写真:小雨ふる三ツ沢。この日は相当な報道陣やカメラマンが)