「プロサッカーチームのある町」

こういう「スタイルがいい」とか、こういう「戦術やチーム作り」をする指揮官だといいよねとか。サッカーを長く、数多く見る人々には、それぞれにあるのだろう。
戦争だと言う者もいるし、たかがサッカーだと言う者もいる。
また、このような「観戦の仕方」が好みだとか、こういう「応援スタイル」がいい、とか、一人ひとり、それぞれにあるのだろうと思う。

実は、自分にもある。
しかし、である。

かっては、大阪や東京に長く住み、仕事では北から南まで国内をくまなく歩き、海外へもあちこち行き来したのだが。自分は今、博多という街に住んでいる。

そして、今は博多の街をとても気に入っている。

何より、この町に、プロサッカーチームがあることを、とても、誇りに思う。

長い人生を振り返ると、サッカーに対峙することは人生に似てるような気もする。

マイチームは、時たま未成熟なサポが騒ぎを起こす。

思うような戦い方もできていない。

チームには、国を代表する代表選手もいないし、毎年の少しの新入団選手と、ユース上がりの選手たちがメインである。
補強といえば、限られた予算の中で遣り繰りして連れてくる選手たちばかりだ。

それでも、彼らの頑張る気持ちに熱くなる。

いつであっても、彼らがピッチに入場すると熱いものが込み上げてくるし、ゲームでその選手の限界を超えたようなプレーや走りを見せられると涙してしまう。得点するとスタンドの椅子を飛び上がりコブシを突き上げてしまう。

たまにぐたぐたのゲームもあるし、ヒドイ試合でその敗北感に落胆もする。絶望とはこういうことなのか、と思い知らされる。
そしてチームは洗練もしていないし、熟成にも至っていない。

しかし、自分は、彼らのことをとても誇りに思う。

アルゼンチンっぽいオトコ臭いゲーフラは見かけるが。最近は、中々に”気の効いた”ゲーフラにお目にかかれないのが博多の森の特徴でもあるが。
札幌戦では、柔らかい女性的な文字で「行こう!涙のステージへ!」というゲーフラを見た。

マイチームは、長い失望と落胆の日々を経て、ようやくに次のステージへ上がることになる。