ボスニア・ヘルチェゴビナ戦

国際親善試合[日本代表ーボスニア・ヘルツェゴビナ]:ドイツ、ドルトムント
海外の各国リーグやゼロックス・スーパーカップ等の厳しい日程、それと天候に恵まれないピッチコンディションの中、選手たちは個々には良くやってはいた。
代表チームに潜在する解決しようがない問題は残るものの、このゲームにおける残り僅かな時間まで”粘り強く戦う”個々の選手の姿勢を見れば、このような時機に大変意義あるマッチメイクだったと思う。
■積み残された問題

素人の私が言うのも気が引けるが。
我が代表選手たちは、ボールを持ったその瞬間に、個々には己の持てる能力を出し切ろうとはしている。
しかし、それまでに至る過程や互いに関係した動き、そしてチームとしての連動性については、個々の選手の組み合わせ次第で「試合毎に再構築」しなければならない。毎回新鮮な気持ちでゲームには取り組めるのもいいかも知れないが。
しかし相手ボール時の動きについては、チームとして必要な「ディシプリン」は欠落したまま、放置されている。
この問題はこの機に及んでも積み残したままである。

残り3ヶ月となったが。

サッカーは、自分でボールを持った時がサッカーではないだろう。
幼稚園児のサッカーはそうはあっても、持ってない時、あるいは相手ボールの時こそが非情な集中力と互いの連携を必要とする。当然のことながら90分間それは繰り返す。
■チームとしてのディシプリン

攻撃時にはどんな結果が出ようが「結果オーライ」で許せても、果たして、攻められた時の結果オーライは許されるものではない。数多くのサイド突破を許してしまう左サイド。中盤と最終列との連動噛みあいの無さ加減。放置されたカバーリングとスペース消しこみ。
それでも自らの判断と決断で選手たちは懸命にプレーはしている。
この日、画面で見た範囲で判断すると。伸びきった前線と最終列の間の距離は、ようやくJ1復帰したアビスパ福岡の3倍はあった。
いや、時には間延びしても良い。そこにディシプリンさえあるならば。

大事なのは、「決めるところを決める」とか「決定力」がどうとかの問題ではない。
チームとしての統一された約束事や規範、ピッチ上の規律が無いチームを見て行くのも随分辛いものがある。
このことこそ、いわゆる「ディシプリンの欠如」というのであろうか。