ジーコ入院

正直にいうと、自分はジーコが好きである。
人間的にもそしてサッカー選手としても。
ジーコとはあるキッカケがあって身近にした時間があるから余計にそうなのかも知れないが、彼のことをこころから尊敬しているし、親しみを込めて敬愛している。
その彼が、まさか我が国の代表監督になろうとは思いもしなかった。キャプテン会長の鶴のひと声で決まってしまったのだが。(不幸にも)
それ以来、この4年間は落ち着かない日々が続き、初めてサッカーに関して自分の中でネガティブな時間ができてしまった。
そういう意味でも06WCが早く終わり、あるべき状態のジーコに戻して欲しいと願っている。

「このままわたしがいなくなった方がいいのにと願った人がいるだろうが。もう3ヶ月の我慢して欲しい(笑)」(退院後の記者会見でジーコ談話)

この国のサッカー界は、上部構造である協会も含めてまだまだ未成熟な部分が多すぎるし、欧米列強からすれば、歴史的にも経験的にも日本は新興国のひとつにしかすぎない。
代表チームとはその国のサッカー界を代表するだけでなく、これからのサッカーのあるべき道筋も示し続けるべきである存在である。言わずもがな。
そして、代表チームを率いる指導者は、キチンと指導者としての道を歩き習熟してきた監督から選ぶべきであると思うし、その指導者から多くのものを学ぶべきであると自分は強く思っている。
残念ながら、ジーコはその点、素人である。
今でも、おそらくWCに出場する代表の監督の中では最も指導者としての経験値が低いと思う。
しかし、今回のジーコ入院を聞きつけ、内心喝采を挙げた人々やこのまま入院し続ければいいのに、と考えた了見の狭い人々もあったことだろう。そしてその数は相当に多いかも知れない。
それは単に「監督としての彼を認めない」を超えて「ジーコそのものが嫌い」というだけのことに過ぎないのかも知れないが。
実業界においても同じであるが、当事者並びに関わった第三者は、仕事や業績についての結果責任は追及すべきであるが、人としての尊厳まで追窮してしまっては自らの値打ちを下げるだけであろう。
自分は代表監督としてのジーコは評価しないが、ひとりの人間として真剣にジーコの身を案じたひとりである。