「代表メンバー発表を前に」その1.

3大会連続出場となったドイツWCの代表選手「メンバー発表」まで残り4日となった。あと100時間もしないうちに選手たちにとっては運命の時間がやってくる。
代表監督の最大かつ最強の特権が選手選考である。
前回は、中山(ジュビロ)と秋田(当時アントラーズ)という両ベテランの人選によって納得のサプライズとなったのだが。
「サプライズは、ない」とジーコがいうように、今回は斬新な選手選考や、将来の日本サッカーを見据えた大抜擢はないだろう、ことは間違いない。
5月15日の発表がいかにも面白みに欠けた人選発表であることは予想できるのだが。
ここでは個人的見解を述べながら別の視点で代表選考について考えていきたいと思う。
トルシエの選手選考
当時の日本サッカーにとっては高度な戦術家でもあったトルシエ前監督は、世界ユース、五輪、アジア杯、WCという4年間を、長期的で常に論理的な背景をベースに持ちながら人選をしてきた。
また開催国ということで最終予選が免除されたことが育成型、成長型のチーム作りを行い易くしたのは間違いないのだが。
本番のWCにおいても、先発組、交代枠で使う控え組、ベンチにいてチームの役割を担うグループと3つのハッキリした意図的人選で、人選においても組織的な考えで行った。
ジーコは自らの代表チームでの蓄積してきた経験を重んじ、その中で功績のあった選手をベースにしながら、基本的には、彼がランク付けした独自の格付けによって上から順に選考するものと考えられる。
4年前の今時分、高原直泰が病気で外れ、中村俊輔が「先発でしか使えない選手」であるという理由で外れた以外には、もっとも伸び盛りである若い選手たちを育成・成長させながら、彼らを中心にしたバランスの良い人選をしたものと思う。
いずれにしてもフランス人らしい高度な人間分析をもとに「グループ分け」という独特の理論を持ち出し納得の人選を行った。
■岡田氏の求心力作り
98年フランスWCに出場する選手たちは、最終予選とプレーオフを戦った選手たちがその中心であった、が。8年前の代表メンバー発表は、何といってもカズを選ばなかったことに尽きると、思う。
岡田氏は、カズと北澤を道連れで外す代わりに当時将来を嘱望された小野伸二を選び、18歳になったばかりの市川大祐をチームに帯同させた。
最終予選時にコーチとして帯同していた岡田氏に代表監督の地位が急遽お鉢が回ってきた。そのことが人選に多少は影響しているものとは思う。
今では押しも押されもせぬ日本人を代表する監督となっているが、当時の岡田氏は指揮官としては未成熟であった。
それにしてもドライにカズを切ることでチーム内に求心力を作ろうとしたのは否めない。
万が一当時の指揮官がジーコであったらどうだろう。(例え素人監督とはいえ)ジーコならカズを切るという手段は取らないように思う。
言ってみれば「選ぶ」ことより「外す」ことが話題になった98年。