もう良いではないか

■みちづれ
3年半前に、どこかで書いたが。
再び、まったく同じ精神状態になろうとは思いもよらなかった。

川淵氏は、終わっている。

協会は、いつまで彼の独断専行で動いていくつもりか。
このままだと川淵氏もその晩年を汚すだけである。

協会の若手も少しは意地を見せ、彼から権限を奪い取るだけの行動を示すべきである。
現在の地位に酔う彼が協会の椅子にしがみついていたいのなら、”お飾り”で奥の院にでも閉じ込めるべきであろう。
彼が今の地位にいる限り、日本サッカーは少しも良くならない。日本サッカーの未来もない。
そして、更に川淵氏はとっくにもう過去の人である。
自分は、そのことについていちいち理由を書き連ねるエネルギーさえも沸かない。
そのことは、この4年間の日本サッカーを見れば明らかであるからだ。

オシムさんは名匠だし日本サッカー界にも既に立派な功績と影響を残してくれている。
その指揮官としての能力は誰よりも評価したい。
それより川淵氏程度の人間の”道連れ”に、そんなオシムさんを使うのは止めて欲しいと思う。

■晩年に、思わず大金を掴んでしまう
中堅上場会社並みの年商160億円の莫大な収入を得る日本サッカー協会は、もはや商業主義にまみれている。実はその象徴として代表チームがあるのだが。
この4年間のフル代表ほど、選手を痛め疲弊させ、そして傷つけてきたカテゴリーはない。
今では全ての企画が代表という金権にしがみつく大手サプライヤーのためにある。
そうしたのは川淵氏の手腕であるが、もう、そろそろおしまいにすべきであろう。もう良いではないか。

川淵氏の代わりには近代的で民主的な運営で仕事を着実にこなす実務派の方になってもらい。
これまでの川淵氏が溜めた淀みを一掃して欲しい。

■老醜、保身に走る
今この時こそ川淵氏の退任の絶好の機会である。
男は、どんなことより引き際が大切。引き際さえ判断できぬ労害はただ見苦しいだけである。
このまま立ち去ってもらっても誰も困らないし川淵氏のこれまでのサッカー界における功績は少しも揺るがないし、歴史に残る。
今の状況を打開するには、川淵氏の潔さほど効果的なものはない。

4年前の自らの判断、その過程。チームとしてのこれまでの戦い方の分析、反省。他国との相対比較。中でもWCに出場するまでの戦い方とチーム作り、WCでの戦い方とチーム作りなど、やるべき取り組むべき仕事は山ほどある。その上に立ってこれからの10年、今後の中長期ビジョンを打ち出すのが協会の高給もらっている幹部たちの仕事ではないか。

それらのことは放り投げて、自らの保身の為だけにオシムさんの名前を語るのだけは許せない。