「新しい舞台を用意する前に」その2.

トルシエと川淵氏
トルシエは協会、中でも当時副会長だった川淵氏とソリが合わなかった。
というより短気で癇癪持ちの川淵氏は、いわば社内営業ができない(メディアとうまくやれない)トルシエ慇懃無礼者として見ていた節がある。
だからトルシエの業績や結果は認めても、スキがあれば他の監督と交代させたかった。
川淵氏が懇意にしていると見られる朝日新聞が任期中に唯一大きく「トルシエ解任」ネタを打ったのも川淵氏や釜本氏の仕業と見てよい。
彼らは大新聞による大衆操作で流れを作りたかった? 
実際息のかかった釜本なども普段から形相変えてトルシエ批判を繰り返していた。

代表の親善試合での「トルシエ、ニッポン!」コールと、9代目会長の岡野氏の決断でトルシエは生き残ったのだが。

川淵氏はトルシエの悪い面しか記憶の引き出しに入れていない。今となってはトルシエの業績や結果などには関心すらない。

代わりに、川淵氏はジーコの良い面”しか”見ていない。他のことは目をつむり結果さえ出ればいいと4年間をお任せにした。
そしてあの本番での惨敗。