「フロンターレの場合」その2.

■J2、4年間の雌伏とチーム熟成
フロンターレは創立10周年を迎えている。
かって私は宮前区に住んでいたことがあるが、フロンターレの最近は詳細に亘った地域に密着したクラブ作りをやっていると聞く。その辺りのことやチームサポート活動、またチーム強化などについて少しづつ学んでいきたい。
現在崩壊しつつあるアビスパ福岡には最も参考にしたいクラブの一つである。
尚ほとんどがどこかで拾ってきたやっつけ仕事なのでその点は突っ込み歓迎です。
以下、J昇格後のフロンターレのチーム成績。

   カテ   順 位    勝     分    敗
1999  J2  優 勝  25   3    8 ☆
2000  J1  16位    7   4   19
2001  J2   7位  20   3   21
2002  J2   4位  23  11  10
2003  J2   3位  24  13   7
2004  J2  優 勝  34   3   7 ☆
2005  J1   8位  15   5  14
2006  J1   3位  10   5   3(18節現在)

フロンターレは01年7月石崎さんが監督就任。そして2シーズン半を経て04年に鹿島から関塚さんが監督に就任した。関塚さんは3シーズン目である。
■伝統と積み上げ

『石さんが来た時は一度チームを解体して、ゼロから積み上げたチームを作っていった。セキさんはそれを壊さなかったですね。石さんが2年半かけて作ったものをベースにして、突き詰めて行こうって。それが嬉しかった。否定するところから入られたとしたら悔しかったと思いますが、それまでの3シーズンを認めてもらえましたから。』(箕輪談:川崎の鉄壁のCB、00年9月ジュビロより移籍)
『川崎には長い伝統の中で培ってきた3バックの形があって、セキさんはそれに勝負強さをプラスする感じでした。・・・・セキさんは最初は4バックをやりたかったと思いますが、結局3バックをやることになりました。』(同じ)

ド素人のわたしさえ今のアビスパのこれまでの”経緯”と現状は異常であるし確実にチーム崩壊へ向かっていると思う。ただし選手たちは頑張っているし、当事者たちがそうは思っていないところに一番の難しさがある。
アビスパのチーム作りの問題点は積み上げを失っていることによる。2、3年で出向が解かれるクラブの幹部でさえも。
私は石崎さんの粘り腰と実直さを評価する。しかし昨年末に鹿島行きを断った関塚さんの、これまでの柔軟性と適用力は賞賛すべきであろうと思う。彼はJ2からスタートし短い期間でJ1の頂点に近づこうとしている。
クラブの中長期ビジョンは背景に必須ではあるし愛情ある人材育成と的確な補強は前提になければならない。そしてサポーターやファンをも含めた何もかもを”善のスパイラル”循環の中に仕組むことと、監督次第でチームはどうにでもなる。
フロンターレは辛抱強くそれを実践している。
■継続性と攻撃力
チームは急には強くはならない。その逆はあっても。フロンターレの躍進はクラブとしてのチーム強化の継続性が一番に大きい。
長い継続性の中で、チームのクォリティを上げていくというやり方か。
フロンタは攻撃力のチームである。それはJ2時代からの伝統だ。そして今季の好調さは若い谷口や中村らの2ボランチの成長と攻撃力にあると思う。
そしてもちろんゲームの流れにもよるがほとんどの試合でDFラインもいつでも高い。その3バックの高いラインがボランチの攻撃力を磨きこんでいる。
(つづきます)