体幹を鍛える

■CL開幕!
今朝は早朝に欧州CL、一次リーグが開幕。
連覇を狙うバルサの完勝を見るが。バルサは今季、守備陣に安定感が増したように思う。
それと何といってもエトーがピークを迎えていることを感じる。
彼には、鋭さや力強さに、”うまさ”が加わった。
怪我さえなければ今季はエトーのシーズンになるかも知れない。
観戦予定の12月のクラブ選手権も楽しみなことである。
■ヒデのこと
個人的にも一度振り返っておきたかった。
衝撃的な7月3日の引退表明以来、中田英寿が今日(13日)久しぶりにサイトにメッセージを寄せるらしい。
6時間で1100万アクセスという国民的記録を伸ばした彼のサイトであるが、旅行記であれ何であれしばらくは彼の行動表現が注目を集め続けることは間違いない。
■先頭を走る
中田英寿は10年余りも日本サッカー界の先頭に立ち続け、走り続けた。
今のところ彼を凌ぐ選手は見当たらないし、しばらくは彼以上の選手は出てこないのかも知れない。
トルシエジャパンの時代においても、ジーコジャパンのチームにおいても、彼ほど代表チームに賭け、彼ほど引っ張ってくれた選手はいない。
私たちは空港でのファッションやマスコミとの軋轢、引退記念番組などの心象(印象)だけで彼を語ってはならないと思う。
■強靭な肉体作り
日本経済新聞に「NAKATA ルネッサンス」と題して連載が続いている。
今日(13日)は非常に興味深いヒデの肉体作りのことであった。
日経・武智幸徳記者による記事の一部を抜粋し紹介したい。

『日本で開催された1993年のU−17W杯。ここで驚異的な身体能力を持つナイジェリアと対戦したことが、中田にフィジカルの重要性を痛感させたといわれる。その認識は95年にベルマーレ平塚(現湘南)でプロになっても変わらず、98年にイタリアのペルージャに渡ることになって、さらに先鋭化していった。
「ヒデは海外に行こうと決めた十代の時には、専属トレーナーを連れていくと決めていた。」(ヒデのトレーナー山本孝浩氏談)』

『「フィジカルが弱い日本選手」→「肉体的接触を避け、クレバーで速いパス回しを」という図式も浮かび上がってくる。それ自体に間違いはないが、身体能力の低さを前提とするあまり、日本の選手が肉体をぎりぎりまで鍛え上げる究極のトレーニングを怠っている感はある。足りないAをBで補うばかりでなく、Aも強くする。そういう発想の必要を痛感させるのが、ほかでもない、中田なのである。』
『もともと足腰は丈夫な中田だったが、イタリアのぬかるんだピッチで練習と試合を繰り返すうちに下半身はさらに強くなった。中田は山本に上半身強化の別メニューを作らせ、団体練習の前に週3回の割合で取り組んだ。』

■ぶれない軸

『「身長は決して大きくないが骨格はしっかりしている。その骨についた筋肉をどう鍛えるか。単純に太くすればいいわけでなく、ねじる動きが硬くなってはいけない。股関節や肩甲骨周辺の体幹と呼ばれる部分の肉体を鍛え、かつ柔軟にする。体の大きな選手とぶつかっても倒れない理由でしたね」(同じく山本氏)山本の中田評。体幹を鍛え、軸をぶらさない。ぶれないから安定した視野を確保でき、派手さはないが実践向き技術と適切な判断力を一体化させることができる。それは彼の生き方と、どこか通じるものがある。』

彼が「今はまっているのはボクシングで、トレーナーを使って習っている」とか。
(以上、13日付け日経より)
■ヒデの足跡

【日本代表】
国際Aマッチ出場77試合
11得点、

【WC】
3大会連続、
10試合連続出場
【Jリーグ】
4シーズン、1チーム在籍
85試合
16得点

【セリエA】
8シーズン、5チーム在籍、
182試合
24得点

【プレミアシップ】
1シーズン、1チーム在籍、
21試合出場
1得点

あの一夜のことは、今でもそしてこれからも忘れない。
1998年9月13日、セリエA開幕戦。ユベントスを相手に2ゴールの鮮烈デビューを飾る。
ヒデ、21歳の時であった。