育夫さんと今西さん

■育夫さん
今季、松本育夫さんが現場を離れる決意をされた。ご本人には大きな決断であったろうと思う。
実は現場を離れる育夫さんの姿ほど想像できないものはない。
ここ3年ほど時間を作っては鳥栖スタジアムのバックスタンド中央に座り、実は育夫さんの立ち振る舞いを見るのを楽しみにしていた。
昨年一年間はベンチでも一歩身を引き、指導者として岸野靖之という後進の育成期間に当てていたようにも見受ける。
万年下位のチームを1部昇格の可能性を持つまでに育てた育夫さんは、しっかり自らの足跡を残しレールを引いた上で後進に道を譲った。

育夫さんは79年のWY日本代表監督として風間氏、鈴木淳(新潟監督)、柱谷兄(前京都監督)、水沼(前横浜監督)など各氏を指導。
一時、京都のGMなどを経たが川崎Fの監督や地球環境高の監督を経て鳥栖へ。その半生は生涯現場主義を貫き歩く方といってもよい。

04年、Jリーグの要請を受けて窮地に陥っていた鳥栖へやってきたが、現場だけが楽しみな育夫さんはその”志”だけで動く方でもある。
苦境にある新居(今季千葉へ移籍)を預かり一人前の戦力にしただけでなくJ1チームからも声がかかるまでに育て上げたのは松本さん以外にはできないことであったろう。
現場でこそ輝く育夫さんにとっては「GM職」というデスクワークは辛いものがあるだろうが(笑)井川社長のもと鳥栖でなんとか新しいGM像を作って欲しいと思っている。
個人的には何とか実現したいと思っているが、松本育夫こそ一番にその自らの体験を身近にお聞きたい方でもある。
■今西さん
同じ1941年生まれである今西さんは、松本さんとともに栄光の東洋工業4連覇時代を築いた方である。この度広島を退職される今西さんの日本サッカー界に残した足跡やその影響は計り知れない。
後に代表監督にもなるハンス・オフトや、近年ではバクスター氏を広島に招聘しただけでなく、現在の福岡の強化担当でもある小林氏や神戸監督の松田浩氏、横浜FC監督の高木氏などを指導育成した。
またJリーグでは広島の立ち上げに奮闘され、ユース強化を図りクラブとしての基礎を作った。他にも大分、愛媛のJクラブチーム立ち上げに尽力し現在もFC岐阜のJ参入に向けて協力している。
現在の地方の「育成型クラブ」のモデルは今西氏の功績によるものである。
今西さんは、川淵会長が自らの独断で代表監督にジーコ招聘を取り計うまでは協会の仕事にも従事された。強化副委員長や技術副委員長として、94年から02年まで日本サッカー界の強化・向上に努力された。
そのこれまでの功績は語りつくせぬものがあるが、日本のサッカー界はまだまだ今西氏を必要としている。
個人の勝手な妄想にすぎないかも知れないが、川淵氏の後進は川淵氏の歪んだ影響を排除できると思われる今西氏をおいて他にいないようにも思う。
今西氏は現場の労苦を熟知し健全な組織作りのできる第一人者でもあるからだ。
川淵氏には定年が必要だが、今西さんには定年制度など不要である。

今西氏の引退については私のような駄文よりも、敬愛する武藤さんが見事な文章で明確に語られているのでご紹介したい。