生活の柄


高田渡が逝って2年。
音楽出版社から出されたこの追悼本は3回忌に合せて発刊されたのだろう。西通りのAOYAMA B.Cで手にした。
デビュー当時から何度かライブ経験があるが、彼は歌い手として歌い始めた時から、最初からまるで伝説の人のように歌っていた。
高田の歌はメジャーに乗らず世の中で流行りもしない、また高田はそういう相対的な世界を超えて存在していた。
私事ながら私には二人の男の子がいる。二人とも巣立っていったが彼らが3、4歳の頃、風呂場での歌は高田の「自転車に乗って」であり「アイスクリーム」であった。
かって風呂場で歌って聞かせた歌は、父親が子供に歌ってきかせる為に適当に作った歌だと子供たちは最近まで信じていた。

「昔から、ライブで地方に出ているとき以外、飲むのはほとんど吉祥寺界隈の店である。どこかに出かけるのが面倒くさいのだ。犬はあまり遠くに行きたがらないが、僕も言うなれば家の近所で小便して帰ってくる犬みたいなもんである。」(「バーボンストリート・ブルース」より)