ダービーのある町

「最後に笑えるように」

「勝ちたいという思いが強い程、ああいったミスジャッジをされると選手のフラストレーションは溜まるし、熱くなって冷静さを欠いてしまいます。冷静さを失うことはプロの選手としてはあかんことやけど、今日の試合はみんなそれだけ勝ちたかったんです。勝たないといけない試合やったんです。」

鳥栖まで応援に来て下さった沢山のサポーターの方々にはほんまに申し訳ないです。肩身の狭い思いをさせてしまってほんまに申し訳なかったです。同じように苛立ちや脱力感や屈辱を感じさせてしまってほんまに申し訳なかったです。」

「悔しいと思える限り、まだまだ前を向くことが出来る。今日の試合、ほんま選手はみんな悔しかったけど、これだけ悔しい思いをしたらからこそもっと上を目指せるはずやと思います。これだけ熱い気持ちでサッカーが出来るんやから、もっと上に行けると信じています。」(いずれも久藤清一オフィシャルより)

■「サッカー」を勘違いしてはいけない
昨夜から考えていることですが。
ダービーがある町を持つことは確かに誇れること。
しかし、チームの真の底力とは?
選手たちを含むチームの戦い方のみだけでなく、クラブ組織や体制やその「志」、ウルトラを含む全てのサポーターの後押しの仕方、市民の支え。それらを総体したレベル以上にはならないし、それを超えて良いクラブチームにもならないように思います。
この点、推して知るべしです。
「人生は後味を良くすること」とは尊敬する人の言葉ですが。ゲーム後に、ペットボトルや上のコメントにあるように”ただの鬱憤晴らし”で餓鬼の如く「傘を投げる」サポーターがいるといった時点で(いつまでも未熟なままで)未来永劫誇りの持てるチームには絶対にならない!とも。
熱い気持ちの置き所を勘違いしてはいけない。
と、思います。