本田真吾

親しい知り合いが熊本の大津町にいることもあり同町出身の本田真吾君(あえて真吾君と書きます)には大津高校時代から期待していました。
その本田真吾君が福岡を戦力外となりました。
うちのトップチームで活躍する機会はほとんどありませんでしたが、本田君も一時はU-20代表候補にものぼりました。
彼の特徴は、利き足の右足からの鋭くて正確なクロスだけでなく、左足からの鋭いクロスの正確さ。
本当に両方の足でボールコントロールできる選手は稀です。本田君は大きな武器を隠しもっていました。
後述しますが、本田君については福大のサッカー部監督でもある乾教授に直接お話しを伺ったことがとても印象的です。
■目先の場当たり思考がチグハグさを生む
さてここ数年の(いやJ加入以来か)アビスパ福岡です。

長く、アビスパ福岡はトップチームありきで、きました。
サテライトも、ユースも、ジュニアユースも、、後援会も、、クラブ体制の何もかもがトップチームの存続と戦績、ただそれだけのためにありました。

唯一、尊敬する下田コーチが推進する「ホームタウン活動」以外は。

もちろん100年以上の歴史を持つ欧州とは比較するのは酷です。それでもとても貧弱で未成熟なサッカー文化しか根付いていない福岡では、政界、財界あげて(大きな力を持つ上部構造ほど)「トップチームだけ」にしか目が行っていません。
(その傾向は大半のサポーターも、かもしれません)
トップチームがコケたらおしまい、ほかは何も残らない。
フロントはトップチームだけの成績さえ良ければ、他は全く無関心・無配慮。それを短絡思考で短期的な視野で運営するからたまったものではありません。

これが長年続くため、毎年毎年相変わらずの堂々巡り。
数年置きにトップの首を変えても苦渋のスパイラルは何ら変わることはない。
■「うちで4年預りたい」
乾先生はズバリいいました。「あそこでは有能な素質を持つ本田君は育てきれないです。」
香椎浜フットボールセンターで、コーチの誰もつくことなくサテライトの選手5,6人で練習に明け暮れた時期の話しだけではありません。
もちろんプロですから、プロに入った以上は本人が努力する以外にありません。人一倍のトレーニングでベンチ入りを果たし、トップチームで活躍してはじめて選手は一人前として認められます。
それもこれもチームスタッフのサポートあればこそ。
チームに一度受け入れたからには、クラブにとって若い選手ほど財産であり将来の大切な経営資源です。
選手一人ひとりの才能を見抜き、長い目でその選手にあった育成手法を考え、選手は厳しく激しくトレーニングに励む。その選手にとって必要なら、あるときはレンタルで、あるときは海外研修で、実践経験や武者修行も。
それもこれもチームスタッフのサポートあればこそ。
残念ながら、トップチームの目の前の戦いしかない、明日なき戦いを続けるチームあっては本田君の才能は埋もれたままで無為な時間を過ごすのみでした。
選手権の常連校、大津高校卒業の折り、本田君は悩んだと聞きます。
私は、前途ある有能で若い本田真吾君の行く末をこれからも見守っていこうと思っています。
■「アビスパにだけはやらない」
地元有力校の監督さんの言葉です。
福岡には全国レベルのサッカー部を持つ高校がいくつもあります。
今年の正月は東京で過ごしましたが、久しぶりに選手権大会をハシゴして回りました。実際、選手権を勝ち上がるよりも県予選で優勝する方が困難ではないかと思うこともあります。
監督さんは指導者として大変優れているだけでなく何より選手や集団を見抜く目をお持ちです。*1
「監督の首を次々と代え、ツギハギだらけの場当たり的補強で戦い方は定まらず、サポーターは次のゲームの勝利のことだけしかない。若い選手を育てよう、温かい目で見守ろうということもなく目先の結果ばかりだから、積み上げたものがない。だから1部へ上がってもまたすぐ落ちる。積み上げるという感覚は、県リーグからプロリーグまでに至る辛苦を味わうことなくファンが草の根の視点でクラブを育て上げた経験がないから仕方ないのかも知れませんが。」
「今のアビスパはぐずぐずしていたら、県リーグから上がってきた下積みの苦労を知ってるクラブのチームに必ず追いつかれる。でも、まだ間に合うと思うのですよね。」
■「その時どう動く」
この一年、ブログはおろかPCを開ける時間も僅かに限られていました。
昨年から、細々と仲間たちとフリーペーパーだけは続けてきましたが、公私多忙な身もようやく落ち着いてきました。
何ができるかわかりませんが。「自分たちでできることを」仲間たちと少し活動しようかと思っています。

*1:歳だけは食ったどこかの、大企業の係長並みでしかないトップとはエラい違いです。