誠実であるか、どうか。

orion10142004-04-06

政治家の話と宗教の話は、極めて個人の領域(世界)の問題なので余り書けないのだが。
今はどちらとも、どっちつかずのノンポリだから、少しだけ。

若い女性に、どんな人と結婚したいですか?と聞くと、
「優しい人」と並んで多いのが「誠実な人」だと思う。誠実ってなに?と聞くと答えは千差万別。
自分なりに思うのは、誠実な人とは、言ってることとやってることが同じな人のことではないか、と思ってる。

政治の世界は政策実行力で物事が測られる世界でもあるが、またある種、建前の世界でもあるので、仕方ない面もあるが、昨今、誠実さを兼ね備えてる政治家は、いるか、と問われると、探しのが難しい程、ほとんどいないと思う。
ある時、不正を強烈に追求していた女性政治家が、実は事務所では詐欺まがいの入金処理をしていた等、数え上げれば枚挙にいとまがない。
現在の彼らは、どれだけ厚顔であるかを競っている職業かもしれない。
一個人のレベルで言うと、今の政治家ほど言ってることと、やってることがズレている人種はいない、と思っている。

歴史上、中には立派な人物もいただろうが、既に亡くなったが、自分の身の回りに存在感のある明治生まれのそんな方がいたりはしたが。
仕事ができて誠実で、清廉潔白な人格者は、現在の政治の世界では本当にマレである。

私が知ってる範囲で言うと、今の横浜市長であろうか。
中田宏、39歳、その人。http://www.nakada.net/index1.html
私は、彼が松下政経塾の頃から見ているが、なかなかの人だと思う。
生意気なことを言うようであるが、今後、度量の部分で厚みが出れば相当なところまでいける人だと思う。
何度も会って個人的に親しいから言うのでなく、そばにいると、彼の”志(こころざし)”は、本物である、
と思う。彼から学んで、彼を模範にされる若い人々が少しづつだが出てきたように思う。その人々を見ると
日本も捨てたものじゃないと思う。

ずっと以前の朝日新聞に、神奈川県横浜市の主婦から投書があった。
(中田氏は、横浜市長に付く前は、神奈川8区から衆議院議員として選出されていた)

「昨日、ようやく、喧騒の衆議院選挙が終わってホッとしている。私は今日の朝、買い物をするために近くの駅まで歩いた。ところが駅に着いてビックリした。なんと、昨日の選挙で当選した人がホーキを持って駅前を掃除していたのだ。驚いて見ていると、何人かの人と駅前のロータリーの掃除が終わったら、彼は、ハンドマイクを持って、選挙での当選のお礼と、これからの抱負を優しい声で話し始めた。普通なら、政治家は、選挙が終わったらとたんに街へ出なくなる。世の中に政治家は多いが、こんな人は見たことない。」

こういうことができるのは中田さんしかいない。
彼は、お金もなく、地盤もなく、後援者も殆どいない状況で政治の道を歩き始めた。
しかし、彼には誰よりも強い「志」があった。志しかなかった、とも言ってよいが。今も変わらず、謙虚で実直な人柄そのままの行動で行政の仕事をされている。
若い中田氏を囲み、支持する人は全国に多く、沖縄にも、鹿児島にも、広島にも、仙台にも、大阪にも、札幌にもある「万縁の会」という中田ファンの会は、神奈川県以外の人のほうが実は多い。全国には中田氏とはなんの利害もなにもない見返りを望まない人々で、彼の志を支持する人々が相当数いる。

竜馬とともに死す

私は、10年ほどまでは結構時間が取りやすい環境にあったので、時々、京都へ行くのが、本当に楽しみであった。
京都といっても観光ではなく、墓参りなのだが。

京都の東山に、霊山という墓所がある。ここに中岡慎太郎坂本竜馬、彼らがふたり並んで眠っている。

ある年の夏、仲間と連れ立って高知県の土佐の北川村へ出かけた。北川村は四国の東の突端、室戸岬のすぐそば、奈半利川を連なる山あい沿いにくねくねと登りきった所にある。高知市からはかなり遠い。

そこが中岡の生まれたところだ。北川村には中岡慎太郎記念館だけでなく彼の
生家が保存されている。村の前田さんという方が中岡慎太郎研究家で、前田さんのお話しをその生家でこころ静かに聞くことができた。

前田さんから、中岡は、3歳の頃から学びを始め、7歳の頃には90分かけて4キロの急坂の山道を毎晩、四書五経を学ぶために歩いたと聞かされた。
一度、中岡慎太郎の小さな生家の座敷に座し当時のことを思うと、畳のその下からエネルギーが湧き起こってくる思いがする。

江戸末期には、何故、この時代に、これほどの人たちが集まったのか、と思われる位、大変な人々がこの世に生を受けている。
中でも飛び切りの天才は、福井藩士・橋本佐内であろうか。なんと15歳で「啓発録」を書き、藩医として医学を学ぶかたわら蘭学を学んだ。安政の大獄以後29歳の時に、吉田松陰らとともに大老井伊直弼に首をはねられたが、吉田松陰とともに、その時代橋本左内に影響を受けた人は数知れない。

西郷隆盛は、昔もらった橋本からの手紙を、終生大切に持ち歩いたという。
西郷が身につけていた袋(バッグ)の中には、彼の「志」が入っていたのだ。西南の役で若い人々の御輿に乗って、彼らと共に亡くなるその日まで。橋本の手紙は何度も何度も西郷に読まれたのだろう、ボロボロになっていたらしい。

さて、中岡慎太郎は、骨太の字を書く。
彼は、天を突き抜けるような力強い字、そのままの人生を全うした。
彼の面構えを見ると、いかに一徹に”志”をおいかけて、生きたかがわかる。竜馬とともに東奔西走した中岡を突き動かしたものは、近代日本の基点になった時代を変える「志」しか、なかった。
この国の、今の時代の私たちの4、5代前の時代に、そんな人々が生きていたのだ。

中国の三国志の時代とともに、近代日本の夜明けの時代の人々は、私たちを心ときめかせてくれる。

ジーコ監督の後任

今日のスポニチだけの飛ばし記事http://www.sponichi.co.jp/soccer/kiji/2004/04/06/01.html
よりも「タイソンK1参戦」のニュースの方が面白いけどなぁ。
世論に敏感な川淵氏のこと、世論に最も受けの良いオシムさんの事を後任に、という観測気球で、ガス抜きしたいのかもなぁ。
それより、事実上組織になってない協会内部のことだし、勝手なこと言い出す人は前にもいたし、このネタは酔った幹部が記者に対しリップサービスだけで、本当はケムリもないのかも知れない。
後任なら、いつであっても協会内部で検討すべきことだろうけど。
川淵氏の独断で決めたジーコの後任は、是非とも内部でキチンと議論して欲しい。
代表でどういうサッカーをしたいのか、今の代表には何が欠けているのかの議論なしで、始めに「人ありき」では、ジーコの二の舞でしかない。

できればこのままジェフを強くして欲しいオシムさんや、オランダ協会コーチ協会会長のトリニータのベルガーさんに、推薦してもらうのもいいだろうけど。
解任する勇気を川淵氏が本当に持っているなら、決断は、早いほど良い。
船が沈み始めて、もう2年も経つ。